講演・セミナーとは回答を得る場所なのだろうか

食品ロス削減をテーマとした講演をおこなった折、質疑応答で、「消費者は(食品ロス削減のために)どうすべきかを聴きに来たので、もっと具体的なことを聴ければもっとよかった(のに)」という言葉を戴いた。

消費者もしくは消費者へ指導する立場の方を対象にした講演の場合、そういう言葉が出やすいのを感じている。すなわち、「how to」や、すぐできる「回答集」のようなものを求められるということである。

だが、食生活や購買行動というのは一律ではない。家族構成やライフスタイル、ライフステージによって異なる。

また、一人の人の中に、さまざまな食行動や購買行動がある。あるものは1ヶ月かけて食べきるかもしれないが、ある食品は今日、すぐに食べる。賞味期限への関心度合いも、一人の人であっても、まったく気にしないもの(たとえばペットボトルの飲料を買うときは気にしないだろう。実際には、ふたの部分に明記してある)もあれば、必ず確認する食品もあるであろう。

100人を対象にした講演で、講師は100通りの回答を示さなければならないのだろうか。違うと思う。

講演やセミナーとは、あくまで、そこからヒントや気づきを得て、聴講者ひとりひとりが自ら考えるものではないだろうか。






逆命利君

Facebookで紹介していただいて、この本を読んでいます。

佐高信氏著、「逆命利君」。

上からの命令に逆らってでも、進言して(所属組織の)利益を図るのが、本当の意味での忠だ、という意味。

頭ではわかっていても、これが実践できている人は少ないと思います。

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5つの肩書きを持つ人に対する日本と海外の評価の違い

会社を辞めたら聞かれるようになった質問はもう一つあります。

「メイン(の仕事)は何ですか?」という質問です。

ラジオを聴いていたとき、東京とミラノに拠点を持ち、複数のプロジェクトを抱えて活動する、デザイナーで建築家の佐藤オオキさんが、

「5つの肩書きを持っていると、海外では

“ほかの人の5倍がんばっているんですね”

と言ってもらえるが、日本だと

”ああ、いろんなことを5分の1ずつやってるんですね”

と言われる」

と話していて、すこし、わかるような気がしました。

一つの組織に所属していることが相手に対する安心感をもたらす一方、いろんな肩書きを持っていることは、日本の中では、あまり好意的に見てもらえない気がしています。

日本では、

「なんとか会社のなんとかさん」
「○○財団の○○さん」

のように、個人の名前の前に枕詞(=所属する組織)をつけたがるので、それがないと、つかみどころがないのでしょう。

福山雅治さんは、音楽をやり、俳優をやり、写真を撮り・・・でも、おそらく「メインは何ですか」とは聞かれないでしょう。何か枕詞をつけなくても、「福山雅治」という個人としてとらえてもらえる、そういう存在にまでなっているからだと思います。

前職のグローバル企業時代、海外では、ほとんど名刺交換しないことに気づきました。会話を交わしていって、ああ、この人とは、これから先も付き合いが続いていくだろうな、と思った人に対しては、「これ、自分の連絡先だから」と言って、business cardを渡してくれる。

日本では、初対面の人とは「とりあえず」名刺交換から入り、「○○会社の○○です」って言い合い、そのあと、二度と会うことのない人の名刺は、結局、無駄になる。これこそ、紙とインクの「もったいない」ではないでしょうか。






人生のゴールとは

会社員のときには聞かれなかったのに、会社を辞めたら聞かれるようになった質問があります。

それは「(人生の)ゴールはなんですか?」です。

なぜ、会社に雇用される「会社員」のときにはそれを聞かれないんだろう。会社員のゴールは「定年」って決まってるから?その会社に雇用されている以上、その会社の「売上」に貢献し続けることが会社員の「使命」だから?

アスリートの上村愛子選手が、引退会見で『メダリストにはなれなかったけど、そこを目指す大切な時間は与えてもらったと思う』と話していました。目指していたゴールには到達できなかったけれど、ゴールに向かうプロセスが充実していたので、ゴール到達以上の価値を与えてもらえた、ということかと思います。

昨日、食の展示会で久しぶりに前職の社員たちに会いました。その直前、初対面の人に、犯罪者に対する職務質問みたいな弾丸攻撃を受け、精神的に疲弊していたので、よけい、懐かしい彼らの顔をみてホッとし、昔のようにおしゃべりして気持ちがほどけました。

と同時に、「売れてるからOK」「売りがよくないからだめ」といった、売上至上主義 ー どうしても、売上の数字だけが目指すゴールになりがちではないか、ということも感じました。

日本系企業、青年海外協力隊、外資系企業、NPO、大学など、短いながらもさまざまなキャリアを積んできて思うのは、自分の成長とともにゴールは変わっていく、ということです。

大学生は、社会に出る前に仕事を選ばなければなりませんが、社会に出て実務に携われば、考え方や価値観に変化が生じ、新たな自分の強みや志向を見出し、仕事に対する考え方も変化していきます。だから、ゴールは変わって当然です。

横浜市長の林文子さんのキャリアの変遷を拝見していると、おそらく彼女は、確固とした「ゴール」を決めているわけではなく、「社会の中で、楽しみながら仕事をし、仕事を通して人の役に立つ」という考え方のもと、求められる場に身を置いていくという、柔軟さと臨機応変さを持った、柳 のような考え方をしているのではないかと感じます。

「ゴールはなんですか?」と訊ねてくる、その人自身にも、人生に対する迷いがあるのかもしれません。






仕事をしながら大学院に通うことについて

人生で「学校」に通って23年。この4月から、2度目の社会人大学院の修士2年になり、人生での学校生活24年めとなりました(小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年→ ここから社会人→ 科目履修生1年、修士2年、博士3年、修士1年、合計23年)。いま23歳の人の人生と同じだけ通ってるのか・・・(遠い目)So far I’ve gone to school for 23 years and It’s the 24th year

学校に通わなくても勉強はできるし、学校に通ってても勉強しない人もいる。仕事を通しての学びは何より力になる。では、なぜ仕事をしながら大学院に入るのか?

社会人として大学院に通った経験のある人なら、仕事をしながら講義を受ける大変さと同時に、両方をこなしていた時間の密度の濃さを実感しているのではないでしょうか。仕事の世界だけでなく、アカデミックの分野に身を置くことで、仕事⇄学問 という相互の融合が自分の中で起こる。互いに好影響を及ぼす。考え方においても、人間関係においても。

自分より長く通ってる人はそういないだろうと思っていたら、うわて がいらっしゃいました。2年前、2012年4月に社会人向けの事業構想大学院大学を開学した東英弥さんは、仕事しながら30年、大学に通ったとおっしゃっていました。2010年末ごろ、多摩大学大学院の講義に呼ばれたときのことです。まだ事業構想大学院大学の話を伺う前でしたが、将来的には大学院を開学したいとおっしゃって、そうなったら「講義に来てください」とのことでした(まだ呼ばれていませんが・・)。

海外では、仕事しながら大学院に通う比率が全体の20%くらいで、かたや日本は2%しかいないと聞いています。この世界にチャレンジする人が増えれば、MBAに限らず、さまざまな分野で、大学のカリキュラムも変化していく(せざるを得ない)と感じます。前職のグローバル企業では、米国本社の社員は、大学教授⇄民間企業研究職 を相互に行き来していました。日本には、この双方向のキャリアはないですよね(民間から大学への移動はあっても)。

「ワークライフバランスが必要」と言われながらも遅々とした日本社会の歩みですが、仕事しながら大学に通うことで必然的に時間のやりくりをせざるを得なくなり、仕事と私生活とのバランスがとれ、仕事の世界にもいい影響を及ぼすのではないでしょうか。






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