願いが叶う3つ

半年前、この、鹿児島市にある城山観光ホテルで講演しました。

農林水産省食品ロス削減補助事業の一環です。

講演の直前、「桜島が見える展望露天風呂」という看板を、ホテルのエレベーターの前で目にしました。

  

温泉、中でも露天風呂が大好きな私は、ついふらふらと入ってしまいました(講演前に露天風呂に浸かってる講師って、、、苦笑)

  

翌日、別のホテルからわざわざバスに乗り、またここの露天風呂に入りに来ました。

  

「いつかきっと、ここに泊まる。」

半年後の今日、その願いが叶いました。

  

1.
毎日、食品ロスのことを考え、発信していたから、鹿児島の神さまが、3度目の講演に呼んでくださったのかもしれません。

  

出口治明さんの著書『人生を面白くする本物の教養』には、

『いくら口では「この部署が大事だ」と(役員が)言っていても、半年に一度ぐらいしか足を運ばないようでは、本音と建前を使い分けていることぐらい従業員は簡単に見抜きます。』

『結局、心を込めていないことは、何をやっても意味がないのです。』

『ビジネスでは、本気かどうかがすべてです。』

とありました。

  

その人の書く言葉•話す言葉と、日々の行動とが一致していないと、いくら綺麗ごとを言っていても、結局は信頼を失います。

  

その人がこころの底から本気かどうかは、毎日それを続けているかどうかを見れば、すぐわかります。

  

2.
とは言え、「何がなんでも叶えてやる〜ううう」と、眉間にシワ寄せ怨念込めて祈るのではなく、すっかり忘れるくらい、軽くゆるんだ気持ちで「こうなったらいいなあ〜♪ 」と願ったからかもしれません。

  

3.
運が良かったからかもしれません。

  

1. 毎日、愚直
2. 人生、ゆるむが勝ち⇦好きな本の題名
3. 運を磨く

Business trip to Kagoshima

スポンサードリンク




固有名詞は正確に

半年間通っていたある講座で、講師の先生から「固有名詞は正確に」と習いました。

私の苗字は、間違えて書く人が多くいらっしゃいます。

正しくは、井戸が出るの「井出」ですが、多いのは「井手」。あるいは「出井」。あるいは「井上」などなど・・・

ケロッグ広報時代、お客さま相談業務を5年間兼務していました。

お詫びのお手紙を書く、ということを毎日していました。

もし、そこでお客さまのお名前を間違えたらどうなるか。

お詫びをすれば許して頂けたであろうクレーム(お申し出)が、二次クレームに繋がってしまい、場合によっては、企業に膨大な損害を与えかねません。

企業の信頼性すら、失墜してしまいます。

慎重に、慎重に。

何度も見直してから、お手紙を出していました。

固有名詞を何度も間違えて平気でいる人を見ると、「たぶん、この人とは仕事しないだろうな」と思います。

自戒を込めて・・・・

http://www.kunishiro.sakura.ne.jp/column/20/c21.shtml

スポンサードリンク



3.11 誕生日に    ”本当に伝えるべきことは何なのか”

【11日】母は、私を、予定日の3日に産みたかったそうです。女の子だからお雛様の日に、と。でも、なかなか出てこなかった。11日に出てきたのには意味があったのだと、今は思います。

【Rumi 】母は、「これからは国際化社会だから、外国人にも呼びやすい名前を」と言って「Rumi」と名付けたそうです。後で、父の故郷の久留米の留、「留める美しさ」などの意味がくっつけられました。のちに私は国際協力の分野やグローバル企業などで働くようになり、海外の方から “Rumi”と呼ばれるようになりました。母には先見の明があったのですね。

【父】私と弟が10代のとき、父が亡くなったことで、「命は明日なくなる」と思うようになりました。今やっておかなければ明日はない。父の死がなければ、一人での北海道一か月自転車一周旅行やアフリカ旅行、青年海外協力隊へのチャレンジは、なかったでしょう。アフリカやフィリピンなどへ行き自由奔放に行動する姉に代わり、優しい弟が、独りになった母の傍らに常に居てくれるようになりました。弟と私は、互いに、ないものを持つ相手を尊敬するようになりました。

【ケロッグ】父の転勤で、お茶の水で産まれてから札幌、府中、世田谷、浦和、津島、久留米、千葉、、と転々とした私は、10年同じところに居たことがありませんでした。ひとつところに落ち着くことができない人間なんじゃないか。。というコンプレックスを抱えて生きていました。ケロッグは、生まれて初めて10年以上居た場所です。たくさんのものを与えてもらいました。

【3.11】5年前。ケロッグにいました。とにかく現場に食べものを届けたい、現場に行きたい思いが強かった。4月にはトラックに乗り、食料を運びました。日経新聞の方が「これは伝えるべきだ」と言って、私がまとめた内容を取材してくださったことで、「本当に伝えるべきこととは何なのか」ということを、深く、長く、考えました。発信される情報はたくさんあるけれど、はたしてそれは本当に伝える必要があるものなのか。あのときは、メディアの方が優先して伝えなければならない命に関わる情報がたくさんあったから、広報は、自社の製品やサービスのプレスリリースを出すのを自粛していた。なんでもかんでも出すのではなく、発信する情報が精査されていたように思います。

数えたら、ケロッグ辞めてからまだ4年5か月しか経っていなかった。なんだかいろんなことがあって、いろんなことをやって、10年分くらいの密度があったように感じます。

これからの使命は

1 本当に大切なことを伝える
2 食べものに関わる
3 行動する

2013年の誕生日には、こう書きました。

「2年前のこの日、大勢の人が命を失った。生き残った私は、自分の使命を探しながら、命をむだにしない生き方をする。」

「理想論を言うのでなく、具体的に行動する。権力に寄りかかるのではなく、マイノリティのために生きる。現場力と専門性を同時に持つ人材になる。」

「生きたくても生きられなかった命に恥じない生き方をしたい」

3.11は、一生忘れない日です。
みんなが充分に食べられる世の中になりますように。

It’s been five years since the 3.11 disaster occurred
March 11th is my birthday

スポンサードリンク



高校生へ

私のブログやFacebookは、講演を聴いてくださった高校生も読んでくれているそうです。ありがとうございます。そこで、私の高校生の頃について書いてみます。

中学時代、都市銀行勤務だった父の転勤で、父の故郷の福岡県久留米市に住んでいました。高校受験し、福岡県立明善高等学校に合格。入学した翌月の5月、父が7回目の転勤になりました。一年間は父に単身赴任してもらい、2年進級時に千葉県の県立高校を受験し、編入しました。編入試験は、転勤族の子どもがたくさん受けに来ており、どこの高校も8倍など競争率が高かったです。父の転勤のせいで、せっかく受かった高校を辞めなければならなかった。大好きな福岡から引き離された。北海道から九州まで転校転校で振り回された・・・という被害者意識と父への恨みを持っていました。

大学受験後、奈良女子大学食物学科に入学。3か月後の7月、父は、念願だった支店長になりました。母・弟と3人で高知県高知市に赴任しました。5か月後、父は脳梗塞で倒れ、5日後、46で亡くなりました。私は親元を離れて奈良に住み、ようやく親の有難みがわかりかけた頃でした。死というのはあっけないものです。若かろうが年配だろうが、いつ誰に訪れるかわかりません。

何らかの事情で、保護者のいらっしゃらない高校生や片親の高校生もいると思います。私は、父の死後、母子家庭を経験し、大学の奨学金を受けて卒業しました。父がいないという欠如感。自分も家族もいつ死ぬかわからないという不安感。それが、「今、やっておかなきゃ(次はない)」という行動力とチャレンジ精神を生み出したような気がします。父は失いましたが、父の死が私に与えてくれたものは、振り返ってみればたくさんありました。そう思って、ノート「父は私の中で生きている」を書きました。

高校生に「親を大事にしなさい」と言っても、うざいだけだと思います。私の年齢になってすら、母親に喰ってかかるくらいですから。でも、今日のこの一日は、死ぬまで、もう二度と来ることはないのです。身近な人が突然死んでしまってから「信じられない」「もっとこうしておけばよかった・・・」と後悔する前に、いま、この瞬間から、「自分も大切な人も今日死んでしまうかもしれない」と思って毎日を過ごす。言うは易し、行うは難しで、私もできてはいません。でも、そうする努力をしながら、一瞬、一日を積み上げて生きていきたいと思っています。

写真:当時、札幌支店に勤務していた父と私
Photo: Deceased father and me in Sapporo, Hokkaido

Iderumi_Father_Kesyo

Iderumi_Father_tsukushi

スポンサードリンク



16歳の男の子に教えてもらったこと

16歳の男の子が49歳の男性に教えていた。
しかも私の専門分野で。

2014年1月16日。
「捨てられる食べ物を見直そう」と題し、朝日新聞の投書欄に、49歳の男性会社員からの投稿があった。
お正月、妻と買い物に行き、割引シールが貼られた山積みの食品を前に、
「この商品はどうなるだろうな」と言った、という。
妻は一言

「捨てるにきまっとるやん」。
投稿者は言う。
「昔の人は、茶わんに米粒が一粒残っていても、もったいないと言った、これが本来の日本人の魂だと思う。」
投稿を切り取っておいた。

一週間後。

北海道に住む16歳の男子高校生が、この投稿者に対して投書していた。
彼は、小学校時代、食べ物が食べられない国の子どものことを知った。
それ以来、学校給食を残さない、自分なりの努力をしてきた、という。
高校に入学し、英語の教科書で「フードバンク」を知った。
まだ食べられるのに捨てられる運命にある食べ物を、困っている人に届ける活動だ。
この考えに感銘し、すぐ、東京のフードバンク団体にボランティア登録した。

衝撃を受けた。
小学校のときから食べ物を残さない取り組みを実践している。
高校の教科書でフードバンクを知り、すぐにボランティア登録という行動を起こしている。
49歳の大人が知らないことを、こういう仕組みがあります、と教えてあげている。
全国紙の紙面上で。

行動力。
実践力。
発言力。
どれをとっても16歳のときの自分にかなわない。
16歳の自分どころか、今の自分にもかなわない。

フードバンクの広報をやっていながら、最初の投書に対し、何も行動しなかった。
ただ新聞を切り抜いただけ。

彼は、行動を起こした。
大人に対し、自分の知っていることを教えてあげた。

自分よりずっと年下の彼から学んだ。
年上だから優れているとは限らない。
年下の彼から、行動力と発信力を学んだ。
まだ、彼にはおよんでいない。

スポンサードリンク