【11日】母は、私を、予定日の3日に産みたかったそうです。女の子だからお雛様の日に、と。でも、なかなか出てこなかった。11日に出てきたのには意味があったのだと、今は思います。
【Rumi 】母は、「これからは国際化社会だから、外国人にも呼びやすい名前を」と言って「Rumi」と名付けたそうです。後で、父の故郷の久留米の留、「留める美しさ」などの意味がくっつけられました。のちに私は国際協力の分野やグローバル企業などで働くようになり、海外の方から “Rumi”と呼ばれるようになりました。母には先見の明があったのですね。
【父】私と弟が10代のとき、父が亡くなったことで、「命は明日なくなる」と思うようになりました。今やっておかなければ明日はない。父の死がなければ、一人での北海道一か月自転車一周旅行やアフリカ旅行、青年海外協力隊へのチャレンジは、なかったでしょう。アフリカやフィリピンなどへ行き自由奔放に行動する姉に代わり、優しい弟が、独りになった母の傍らに常に居てくれるようになりました。弟と私は、互いに、ないものを持つ相手を尊敬するようになりました。
【ケロッグ】父の転勤で、お茶の水で産まれてから札幌、府中、世田谷、浦和、津島、久留米、千葉、、と転々とした私は、10年同じところに居たことがありませんでした。ひとつところに落ち着くことができない人間なんじゃないか。。というコンプレックスを抱えて生きていました。ケロッグは、生まれて初めて10年以上居た場所です。たくさんのものを与えてもらいました。
【3.11】5年前。ケロッグにいました。とにかく現場に食べものを届けたい、現場に行きたい思いが強かった。4月にはトラックに乗り、食料を運びました。日経新聞の方が「これは伝えるべきだ」と言って、私がまとめた内容を取材してくださったことで、「本当に伝えるべきこととは何なのか」ということを、深く、長く、考えました。発信される情報はたくさんあるけれど、はたしてそれは本当に伝える必要があるものなのか。あのときは、メディアの方が優先して伝えなければならない命に関わる情報がたくさんあったから、広報は、自社の製品やサービスのプレスリリースを出すのを自粛していた。なんでもかんでも出すのではなく、発信する情報が精査されていたように思います。
数えたら、ケロッグ辞めてからまだ4年5か月しか経っていなかった。なんだかいろんなことがあって、いろんなことをやって、10年分くらいの密度があったように感じます。
これからの使命は
1 本当に大切なことを伝える
2 食べものに関わる
3 行動する
2013年の誕生日には、こう書きました。
「2年前のこの日、大勢の人が命を失った。生き残った私は、自分の使命を探しながら、命をむだにしない生き方をする。」
「理想論を言うのでなく、具体的に行動する。権力に寄りかかるのではなく、マイノリティのために生きる。現場力と専門性を同時に持つ人材になる。」
「生きたくても生きられなかった命に恥じない生き方をしたい」
3.11は、一生忘れない日です。
みんなが充分に食べられる世の中になりますように。
It’s been five years since the 3.11 disaster occurred
March 11th is my birthday
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