私のブログやFacebookは、講演を聴いてくださった高校生も読んでくれているそうです。ありがとうございます。そこで、私の高校生の頃について書いてみます。
中学時代、都市銀行勤務だった父の転勤で、父の故郷の福岡県久留米市に住んでいました。高校受験し、福岡県立明善高等学校に合格。入学した翌月の5月、父が7回目の転勤になりました。一年間は父に単身赴任してもらい、2年進級時に千葉県の県立高校を受験し、編入しました。編入試験は、転勤族の子どもがたくさん受けに来ており、どこの高校も8倍など競争率が高かったです。父の転勤のせいで、せっかく受かった高校を辞めなければならなかった。大好きな福岡から引き離された。北海道から九州まで転校転校で振り回された・・・という被害者意識と父への恨みを持っていました。
大学受験後、奈良女子大学食物学科に入学。3か月後の7月、父は、念願だった支店長になりました。母・弟と3人で高知県高知市に赴任しました。5か月後、父は脳梗塞で倒れ、5日後、46で亡くなりました。私は親元を離れて奈良に住み、ようやく親の有難みがわかりかけた頃でした。死というのはあっけないものです。若かろうが年配だろうが、いつ誰に訪れるかわかりません。
何らかの事情で、保護者のいらっしゃらない高校生や片親の高校生もいると思います。私は、父の死後、母子家庭を経験し、大学の奨学金を受けて卒業しました。父がいないという欠如感。自分も家族もいつ死ぬかわからないという不安感。それが、「今、やっておかなきゃ(次はない)」という行動力とチャレンジ精神を生み出したような気がします。父は失いましたが、父の死が私に与えてくれたものは、振り返ってみればたくさんありました。そう思って、ノート「父は私の中で生きている」を書きました。
高校生に「親を大事にしなさい」と言っても、うざいだけだと思います。私の年齢になってすら、母親に喰ってかかるくらいですから。でも、今日のこの一日は、死ぬまで、もう二度と来ることはないのです。身近な人が突然死んでしまってから「信じられない」「もっとこうしておけばよかった・・・」と後悔する前に、いま、この瞬間から、「自分も大切な人も今日死んでしまうかもしれない」と思って毎日を過ごす。言うは易し、行うは難しで、私もできてはいません。でも、そうする努力をしながら、一瞬、一日を積み上げて生きていきたいと思っています。
写真:当時、札幌支店に勤務していた父と私
Photo: Deceased father and me in Sapporo, Hokkaido
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