糖質制限ダイエットについて 日本糖尿病学会の見解

糖質制限食(糖質制限食)は、そもそも健康体の方がやるものではなく、肥満などの疾病や症状がある方がおこなうものです。

これについては、日本糖尿病学会が2013年に見解を出しています。

http://www.jds.or.jp/modules/important/index.php?page=article&storyid=40

日本糖尿病学会の公式サイトから、PDFで「日本人の糖尿病の食事療法に関する日本糖尿病学会の提言」をダウンロードすることができます。

学術用語ですこし読みづらいですが、次のようなことが書かれています。

1、炭水化物は、一日のエネルギー摂取のうち、50〜60%を占めるようにする。

日本人の食事摂取基準2015によれば、一般の方も、ほぼ同じような割合で炭水化物を摂取することが勧められています。

三大栄養素の摂取バランスは、PFCバランス という言葉が使われます。

P = Protein ( タンパク質 )  13〜20%

F = Fat (脂質)   20〜30%

C = Carbohydrate (炭水化物) 50〜65%

2、身体を動かす量が多い場合は、炭水化物のエネルギー摂取を60%以上に高めることもできる。

  だが、食後高血糖や、単純糖質の摂り過ぎには注意する。

ここで言う「単純糖質」とは、ほとんど糖質から構成される食品のことで、砂糖を指していると思われます。

糖を1つのだんごにたとえると

単糖類・・・・1つのだんご。ブドウ糖など。

二糖類・・・・2つのだんごがくっついたもの。消化吸収が早い。砂糖など。

多糖類・・・・3つ以上のだんごがくっついたもの。でんぷんなど。

といえます。

3、患者さんの食の嗜好や病気の状態にあわせて、炭水化物の摂取割合を50%より下げることも可能である。

  ただし、腎障害や脂質異常生がないかどうかに充分注意すること。

以上です。

糖質制限食 というのは、あくまで、糖質の摂取量・摂取割合を通常(50〜60%)より下げるということです。

ゼロにすることではありません。

極端な食事制限は、危険を伴います。

どれくらい下げるかについては、人によって(性別・労働量・年齢・病態・症状など)異なるので、病院の医師や栄養士の先生に確認するのが妥当です。

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おてらおやつクラブ (食品ロス削減、ひとり親世帯の子どもたちへおやつ提供)

【シェア歓迎、岩手•山梨•徳島•山口•鹿児島の方へ】

全国で食品ロス問題の講演をするたびに紹介している「おてらおやつクラブ」という活動があります。

奈良県のお寺さん(松島 靖朗さん)が発起人です。

お供物の食べ物がだめになって食べられなくなる前に、仏さまのお下がりとして、ひとり親世帯のお子さんたちにおやつとしてお渡しするというものです。

せっかくの食べ物が食品ロスになるのを防ぎ、食べ物が不足している人に食べていただける、という意義があります。

お寺は、全国に7万以上8万近くあります。

全国に5万あるというコンビニエンスストアよりも多いです。

「おてらおやつクラブ」は宗派を超え、42の都道府県にある255のお寺さんが賛同しています。

(追記:2016年11月21日現在、全国47都道府県、485のお寺さんが協力しています)

現在、岩手•山梨•徳島•山口•鹿児島のお寺を募集中だそうです。

これら5つの県民の方や、近くのお寺さんにお伝えいただければ嬉しいです。

Food Drive by 255 temples in JAPAN

おてらおやつクラブ  http://otera-oyatsu.club

追記:2016年10月28日に上梓した拙著『賞味期限のウソ 食品ロスはなぜ生まれるのか』(幻冬舎新書)に、おてらおやつクラブのことを紹介しています。

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高校生へ

私のブログやFacebookは、講演を聴いてくださった高校生も読んでくれているそうです。ありがとうございます。そこで、私の高校生の頃について書いてみます。

中学時代、都市銀行勤務だった父の転勤で、父の故郷の福岡県久留米市に住んでいました。高校受験し、福岡県立明善高等学校に合格。入学した翌月の5月、父が7回目の転勤になりました。一年間は父に単身赴任してもらい、2年進級時に千葉県の県立高校を受験し、編入しました。編入試験は、転勤族の子どもがたくさん受けに来ており、どこの高校も8倍など競争率が高かったです。父の転勤のせいで、せっかく受かった高校を辞めなければならなかった。大好きな福岡から引き離された。北海道から九州まで転校転校で振り回された・・・という被害者意識と父への恨みを持っていました。

大学受験後、奈良女子大学食物学科に入学。3か月後の7月、父は、念願だった支店長になりました。母・弟と3人で高知県高知市に赴任しました。5か月後、父は脳梗塞で倒れ、5日後、46で亡くなりました。私は親元を離れて奈良に住み、ようやく親の有難みがわかりかけた頃でした。死というのはあっけないものです。若かろうが年配だろうが、いつ誰に訪れるかわかりません。

何らかの事情で、保護者のいらっしゃらない高校生や片親の高校生もいると思います。私は、父の死後、母子家庭を経験し、大学の奨学金を受けて卒業しました。父がいないという欠如感。自分も家族もいつ死ぬかわからないという不安感。それが、「今、やっておかなきゃ(次はない)」という行動力とチャレンジ精神を生み出したような気がします。父は失いましたが、父の死が私に与えてくれたものは、振り返ってみればたくさんありました。そう思って、ノート「父は私の中で生きている」を書きました。

高校生に「親を大事にしなさい」と言っても、うざいだけだと思います。私の年齢になってすら、母親に喰ってかかるくらいですから。でも、今日のこの一日は、死ぬまで、もう二度と来ることはないのです。身近な人が突然死んでしまってから「信じられない」「もっとこうしておけばよかった・・・」と後悔する前に、いま、この瞬間から、「自分も大切な人も今日死んでしまうかもしれない」と思って毎日を過ごす。言うは易し、行うは難しで、私もできてはいません。でも、そうする努力をしながら、一瞬、一日を積み上げて生きていきたいと思っています。

写真:当時、札幌支店に勤務していた父と私
Photo: Deceased father and me in Sapporo, Hokkaido

Iderumi_Father_Kesyo

Iderumi_Father_tsukushi

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あなたの傷は、いつかきっと勲章になるから。

わずか3分会うために往復6時間かけて空港まで来てくれて、本当にありがとう。Thank you, Ate Lyn! I appreciate your kindness.

実はトラウマがあり、15年間、ここフィリピンに来ることができませんでした。
青年海外協力隊派遣当時、2年の任期満了直前、自覚なしにうつ状態になっており、医師から「明日、帰国」を指示されました。あともう少しで任期満了だったのに、任務を全うできなかった。自分を責めました。激しい挫折感を味わいました。もう仕事も辞めてしまって来ていたし、無職状態。寿司を食べても砂の味しかしない。文字が書けない。選択肢を選ぶ決断力がない。痩せ細り、やる気もなくなり、生きていることがつらくなった。
そんな中、毎年、お互いの誕生日にカードを贈りあっていたのが、Ate Lyn (アテ リン、タガログ語でリン姉さん)でした。協力隊の任地である国立大学の職員です。業務上は直接関係がありませんでしたが、公私ともに良くしてもらっていました。
帰国から15年後、思いきってフィリピンのセブ島に旅行に来ました。
その半年後、フィリピンで規格外のオクラを棄てずに困窮者に活かす活動を始めることができました。
そしてその翌年、レイテ島台風被害の支援活動でフィリピンに来ました。それを機会に、16年ぶりにAte Lynと再会、やり取りすることができるようになりました。16年間も会っていなかったのに、3日前に渡航を決めたのに、当時の大学の学長や副学長、同僚、15人もの人たちを集めて、パーティで歓待してくれました。
今回、セブからマニラ経由で成田へ帰国する乗り継ぎの、ほんの数分間のため、往復6時間もかけて、Ate Lynが、夫婦&長男家族ではるばる空港まで会いに来てくれました。体調もよくないのに。そこまでして会いに来てくれる人が、人生でひとりでも居てくれることを幸せに思います。
友達って、しょっちゅう、ベタベタ、一緒にいなくていい。物理的に離れててもいい。細く、長く、つながっていられれば。
18年前、ある人が私に「あなたの傷は、いつか勲章になるから。」と言ってくれました。18年経ちました。情けないことに、まだ、勲章とはとても思えません。
多くの人は、こころやからだに傷を負っていると思います。人を亡くした悲しみは消えない。自分の挫折や失敗、病気も消えるとは限らない。100%、心身健康ではないかもしれない。でも、完璧に心身健康でなくたっていい。人生は、その傷や悲しみを負いながらも、前を向いて生きていくものなのではないかと思います。
いま、何かで凹んでいる人に、
「あなたの傷は、いつかきっと、勲章になるから。」
という言葉を伝えてあげたいです。私も、18年間、自分に言い聞かせて生きています。
Thank you very much, Ate Lyn! I’m very glad to see you 22 years ago and have kept in touch for such a long time! God bless you.
Maraming salamat po, Ate Lyn!

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16歳の男の子に教えてもらったこと

16歳の男の子が49歳の男性に教えていた。
しかも私の専門分野で。

2014年1月16日。
「捨てられる食べ物を見直そう」と題し、朝日新聞の投書欄に、49歳の男性会社員からの投稿があった。
お正月、妻と買い物に行き、割引シールが貼られた山積みの食品を前に、
「この商品はどうなるだろうな」と言った、という。
妻は一言

「捨てるにきまっとるやん」。
投稿者は言う。
「昔の人は、茶わんに米粒が一粒残っていても、もったいないと言った、これが本来の日本人の魂だと思う。」
投稿を切り取っておいた。

一週間後。

北海道に住む16歳の男子高校生が、この投稿者に対して投書していた。
彼は、小学校時代、食べ物が食べられない国の子どものことを知った。
それ以来、学校給食を残さない、自分なりの努力をしてきた、という。
高校に入学し、英語の教科書で「フードバンク」を知った。
まだ食べられるのに捨てられる運命にある食べ物を、困っている人に届ける活動だ。
この考えに感銘し、すぐ、東京のフードバンク団体にボランティア登録した。

衝撃を受けた。
小学校のときから食べ物を残さない取り組みを実践している。
高校の教科書でフードバンクを知り、すぐにボランティア登録という行動を起こしている。
49歳の大人が知らないことを、こういう仕組みがあります、と教えてあげている。
全国紙の紙面上で。

行動力。
実践力。
発言力。
どれをとっても16歳のときの自分にかなわない。
16歳の自分どころか、今の自分にもかなわない。

フードバンクの広報をやっていながら、最初の投書に対し、何も行動しなかった。
ただ新聞を切り抜いただけ。

彼は、行動を起こした。
大人に対し、自分の知っていることを教えてあげた。

自分よりずっと年下の彼から学んだ。
年上だから優れているとは限らない。
年下の彼から、行動力と発信力を学んだ。
まだ、彼にはおよんでいない。

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