ビジョンについて

「将来こうなる」と思い描いていたその通りに実現した人って、どのくらいいるのかな。ある面談で問われた「確固たるビジョン(とは何か)」に違和感がぬぐえない。自分の将来を真摯に考え、もやもやした迷いが生じ、そこに光明を見出したいからこそ、転職や起業や留学や進学など、リスクをとってでもチャレンジしようと考えるのではないだろうか。青年海外協力隊にチャレンジする人が、2年経った帰国後の自分の姿を微に入り細に入り描くことができるだろうか。少なくとも私はできなかった。でもチャレンジする人は、ディテールは描けなくても、漠とした自分の方向性(ベクトル)や軸は描いていると思う。当時、私は5歳から好きだった「食」の分野へ方向転換したいと願い、何らかの分野で(他の隊員のように)プロフェッショナルになりたいと考え、企業を辞めて参加することで、自分の志向と適性に合ったキャリアにすこしずつ近づいてきた。つもりである。ビジョンを語ることを否定するのではない。細かいビジョンを決め込むのと、大枠の方向性(ベクトル)を決めて進むのと、どちらがいいのだろう。人生、ハプニングはつきものである。細かいことを計画してもその通りになどいかない。人生すべてを自分の意のままにコントロールできるものと考えるのは傲慢ではないか。ビジョンを細かく決めその通りに進むことが優秀な人生なのではなく、ハプニング ー挫折や失敗や不合格や身内の死・・・ー に遭遇しても、思い通りにいかなくても傷ついても、不遇をかこつことなく、柳のようにたおやかに生きる心身と行動力を持つことのほうが大切ではないだろうか。ちなみに私が高校生のとき思い描いた自分のビジョンは「田舎の小学校の給食のおばさん」だった。実現はしてないけど、「食」の方向に進んできたことには違いない。(写真は先月、イタリア・ヴェネツィアで撮影したもの)Is it important that I clarify a vision?

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2015年7月24日 母校、奈良女子大学で「自分の働き方に出逢うには」講演

学部時代の母校、奈良女子大学(奈良県奈良市北魚屋西町、近鉄奈良駅から徒歩5分)で2015年7月24日、キャリアセミナー「自分の働き方に出逢うには」を開催します。

奈良女での講演は、2010年「機能性食品とトクホ」、2012年「キャリア」、今回で3回めです。

生協(購買部)では、拙著「一生太らない生き方」を展開して頂いているそうです(生協なのでたぶん10%割引)。

当日は、大阪府や滋賀県など、遠方からも聴きにきて頂けるとのこと。

奈良女時代の同期の娘さんも!参加するため、授業を調整しているそうです。

「大学院に進学しようか、就職しようか」と迷っている女子大生の方の参加もあるとのこと。

13時から17時30分まで、双方向に話し合いのできるディスカッションタイムもあるので、ぜひいらしてくださいね!

Give a lecture on my career path on the 24th of July

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商売って(2)

せっかく買い物をするなら、
払ったお金を喜んでくれるところで買いたいと思っています。

また、定期的に買い物することで
関係性の築けるお店で買いたいと思い、
できるだけ個人商店を選んでいます。

この10年以来、通っている店があります。
時折いただく案内のハガキ。

あるとき、イベントやセールが前日に
終わってしまってから、
その案内のハガキが届きました。

郵便事情かもしれないけど、
たぶん、私と同じく
残念な思いをしてるお客さんがいるはず。

そう思って、買い物しがてら
そのお店へいきました。

新しい店員さんに
もうイベントが終わってからこのハガキを受け取った、
そう伝えました。

その店員さんは
「バタバタしてて、そういうこともあるから
お店で言ったり、ここ(壁)に貼ったりしてるんですよ」
とおっしゃいました。

私には
「店に来ればわかるんだから(ハガキが遅れても別に)いいでしょ」
と聞こえました。

忙しくしていて
しばらく店に行ってなかったから
口頭の案内も、店のポスターも
見ることができなかった。
そんなお客さんは、
どうしたらいいのかな?

ただ一言
「(遅れて)ごめんなさい」
「(遅れて届いたことを教えてくれて)ありがとう」
と言ってもらえれば
それでよかったんだけどなあ。

大きな組織に属していると忘れがちな5つのこと

久松達央さんの講義「小さくて強い農業の生き残り」について、法政大学大学院の小川孔輔先生が感想を書いておられます。

http://www.kosuke-ogawa.com/?eid=3448#sequel

その中に、「アンスケーリング(組織を大きくしないことのメリット)」という言葉がありました。

日本系企業や外資系企業を辞めて独立し、ここ最近思うことがあります。

日本の企業のうち、大多数は中小企業。

とはいえ、職員の拠点が複数にまたがり、互いの目が届かないで仕事するような環境は、すでに「大きな組織」と言えると感じます。

振り返ってみて、大組織にいるときはこんなことを忘れていたなあということがあります。

1、感謝

 感謝の気持ちは持ってはいたのですが、特に目立たない部門、たとえば総務や経理など、いわゆる「アドミ(Administration)」と呼ばれる部門に対する感謝が薄かったような気がします。

大組織にいれば、その部署に頼めばなんでもやってくれます。

「名刺一箱お願い」と言えば、総務部門が作っておいてくれます。

「パソコンの調子おかしい」と言えば、IT部門が。

経理は財務部門がやってくれます。

独立すれば、それらを一人で、もしくは少人数でやらざるを得ません。

2、会計・税の知識

 恥ずかしながら、給与と事業所得の違いについても知りませんでした。
  
 確定申告する立場になり、今回、ようやく学んだ次第です。

 他にも知らなかったことが多々・・・

 「会社員」や、大学、行政などに雇用される立場のままだったら、絶対知らないで済んでいたなあ、、と。

3、リスクテイク

 グローバル企業に勤めた経験をふまえると、日本は特にその傾向が強いと感じます。

 食の世界ではあり得ない「ゼロリスク」を求められます。

 リスクを取りたくない人が多い。

 「会社を転職する」ことは考えても、「会社を辞めて独立する」ことは、なかなか考えないですよね。

  なぜなら、それはリスクだから。

4、バランス感覚と俯瞰力

  一つの組織の見方に凝り固まり、俯瞰して見るということが薄いように感じます。

  また、一つの組織で朝から夜中まで働くのも、短期間ならいいですが、何年もその状況を続けるというのでは視野も狭くなるでしょう。

5、相手の時間 = コスト  という認識

 雇用されている立場の方は、この感覚が麻痺しているのではないかと感じることがありました。

 雇用されてさえおれば、極端な話、何をしていようが、自動的に給与は振り込まれます。

 商談して、時間を何時間も費やして、たとえ決まらなかったとしても、給与はもらえます。
 
 でも独立している人が、時間を10時間20時間使って仕事にならなければ、報酬はゼロ円です。

 いわゆるサラリーマンだと、自分が何をしていてもお金がもらえる立場なので、相手もそうだと誤解?勘違い?しているように感じます。

以上

ほかにもあるかもしれませんが、5点にまとめてみました。

下記の記事には「常に厳しい道を選べ。失敗しても何かを学ぶはず」という言葉があります。

Yahoo・CEOマリッサ・メイヤー氏「常に厳しい道を選べ。失敗しても何かを学ぶはず」 とある女性起業家を支え続けたアドバイスhttp://logmi.jp/63159

米国ではフリーランスが主流、たいして日本は大組織に属するケースが主流。

大きな組織に属していることで、目立たないセクションへの感謝を忘れてしまったり、全体を俯瞰する力や、相手(特に弱者)に対する気配りを忘れたり、といったことが増えると、個々の細胞が腐食し、個人のみならず、組織全体、ひいては日本全体に元気がなくなるように思います。

欠品を許容する寛容さ

7月24日は、午前10:30-11:30、啓林堂奈良店でトークイベントとサイン会をする運びになりそうです。午後は奈良女子大学でキャリア講演とパネルディスカッションです。Give a lecture on my career path at Nara Women’s University on July 24th

昨日、奈良女子大学から上京していらした職員の方と講演打ち合わせのあと、第八回「大学は美味しい‼︎」フェアに行きました。

母校、奈良女子大学や、今年も15コマの集中講義をする石巻専修大学、3月まで在籍していた東京大学などのブースを訪問しました。

感動したのは、人と違うポイントだと思いますが「欠品していたこと」です。最終日ということもあり、石巻専修大学や東京農業大学では午後2時の時点ですべて完売、奈良女子大学でもマカロンが完売していました。

ビジネスの世界とは少し違うからかもしれませんが、これが企業主催の食品展示会であれば、試食もサンプルも欠品しないよう、多めに用意するはずです。それが、結局は大量の食品ロスを生み出し、東京ではフードバンク団体が引き取って福祉施設や困窮者に活用しているわけです。

日本も「欠品を許す文化」になって欲しいものです。

昨日の続きになりますが、わたしは食品ロスを減らしたいというより、現状を少しでも良くしたい、「改革をしたい」のではないか、と考えました。

http://www.takashimaya.co.jp/shinjuku/daigaku2015/#