”外側の衣”

外資系企業に勤めているとき、ヘッドハンティングがたくさん来ました。いちいち数えてないけどおそらく50社以上2桁。これは私が優秀だからではなく、外資はそういう場所だから。”外資系企業管理職”という外側の衣(ころも)の部分だけを見て似たような業界へ引っぱろうとする人が大勢いるから。でも、いくら自分の好きな食品業界でも、自分が毎日食べようと思わない食べ物の会社には行きたくなかった。いくら高い給与とポジションを得られたとしても、自分が「いい」と思わないものを、自分に嘘ついてまで人には勧めたくないから。いいと信じるものを勧めるのが商売の基本でしょう。外側の衣は、もちろん自分のキャリア形成の上では一つの財産だし、身につけておけば、それに群がってくる人がいる。それを、自分の人気と実力かと勘違いしそうになるのだが、衣は自分の実力100%とは限らない。外側の衣を剥がして生きるのは勇気が要るが、思い切って剥がしてみると、外側だけしか見ないような人が大概消えていくので気持ちがいい。清々しい。

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「成功曲線」を描こう。夢をかなえる仕事のヒント

大学卒業して最初の職場、ライオン(株)家庭科学研究所での学びの一つは、この曲線(放物線)でした。前任者から引き継いだ「目尻のしわ」のデータ採取(n=10)。この業務で被験者100名(n=100)まで増やし、経時変化や個人差のデータを定期的に取っていました。横軸に年代、縦軸に数値化したしわのレベルをとると、このような放物線を描くのです。つまり「20代、30代はしわが少なく、個人差は非常に少ない」「年代を重ね、40代、50代になっていくと、しわのレベル=老化のスピード の個人差が非常に大きく開いていく」ということです。私はこのことは「しわ」だけでなく、仕事や勉強、経営など、多くのことに当てはまると考えました。

物事をやりはじめのときには遅々ととした歩みで成果が見られず、個人差も小さいのですが、蓄積していくにつれて成果が現れ、個人差も大きくなる、ということです。石原明さんはこの曲線のことを「成功曲線」と名付け、(株)日本経営教育研究所として商標登録をとっていらっしゃいました。

多くの人が、右肩上がりの直線で伸びていくことを思い描く。でも現実はそうはならない。落ち込み、挫折し、あきらめます。でもこの「踊り場」の停滞を停滞と捉えない人が生き残っていきます。ど根性のような我慢が必要というより、取り組んだ物事に対する愛情、芯の強さ、肚の据え方、能天気さや愚直さなども貢献するように思います。若い人は、ベテランや年配者が軌道に乗っている、力を発揮する瞬間だけをとらえて「自分もああなりたい」とうらやむことがあります。現代はワンクリックで多くのものが手に入るので、即座の成果を求める人が増えています。でも、いま調子が出ている人は、その前の踊り場を積み重ねてきたことも忘れてはならないと思います。

Learning by working for Lion co.
The degree of the growth draws a parabola

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同じ900円のランチでも

近所に素晴らしく美味しい飲食店がいくつもあり、
誇りに思っています。

最近できたカフェの900円のランチは
レストランのコース並みでした。

最初に出てくるのは色とりどりの野菜を盛りつけたバーニャカウダ(小鍋に入ったソースには火がつけられている)。
次にジャガイモの冷製スープ。
そして前菜三種盛り合わせ(エスカベッチェ、ラタトゥイユ、キッシュ)。
いよいよメイン(揚げピザ)。
そしてデザート(チーズケーキ、サワークリーム、パンナコッタ、フルーツソースで飾られている)。

一方、数百メートル離れたところに開店した店のランチは
ほぼ同じ価格で、パンにウィンナを挟んだホットドッグとホット珈琲でした。申し訳ないのですが、やはり先の店と比べてしまいました。

良い商品、優れたサービスには
喜んでお金を払いたいと思います。
一方、「これだったら自分でやったほうがいいかも・・」と
いうものだと失望します。

同じ「900円」でもこんなに違う。
だから、
売上だけ、
年収だけ、
数字だけ見ていては不足で、
常に自問自答する必要があると思います。
自分の稼いでいるそのお金は
それだけ質の高い何かを社会に提供して得られたものなのかどうか。

I am impressed with the excellent service of a cafe

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交通費に対する認識の齟齬について

「交通費」は勤務先が払ってくれるもの。
会社員時代は当然のようにそう考えていたが、
会社を辞めたら自分で払うものだと気づいた。

独立した立場で
組織に雇用された立場の方と
仕事のやり取りをすると、
しばしば
この点で
齟齬が生じることに気づいた。

つい先日、
旅費が出るか出ないかが
わからない状況での講演依頼があった。
往復三万円以上かかる遠方である。
依頼者は、
旅費捻出の有無を確認せずに依頼することは
たいした問題ではない、
と考えている。
雇用されている立場だと
「交通費は自分ではない誰かが払ってくれるもの」なので
交通費を依頼者個人が負担するという感覚がない( or 薄い)
ということに気づいた。

大きな組織を飛び出して生きるって、
大変なことも多いけど
新しい学びがたくさんある。
命を使いきっている感覚がある。
その状況を楽しめる人にとっては
楽しいのだと感じる。

(写真は年末年始に訪問したトルコ・イスタンブール)
Attached photo is shot at Istanbul, Turkey

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私の尊敬する高校時代の同級生

日本で初めて聾唖者として東大に現役合格し、日本で初めて聾唖者として司法試験に合格した人。
聾唖の弁護士は日本でたった一人。
私の尊敬するクラスメートである。

One of my high school class mate is a deaf person, but he passed the exam of the University of Tokyo and passed the bar exam. He is the only deaf lawyer in Japan. I’ve respected him very much. ( the attached photo is me and him when we were high-school-students )

世間的には東大に受かったことがすごいのかもしれないが、私がすごいと思ったのは、彼が高校3年の秋ごろの模試でD判定(A・B・C・D・Eの五段階評価の下から2番目)だったのに諦めなかったところである。あのとき、模試判定の結果を同級生に見せながら笑っていた。この絶望的な状況で、どうして彼は笑っていられるのだろう。

最も心を動かされたのは、彼の姿勢 ー生きざまー 前向きさと明るさだった。
教室の前の方に座り、先生の唇の動きを見て授業を受けていた。
通訳はいなかった。
足らないところはクラスメートに教わっていた。
学ぶのがとても楽しそうだった。

当時、私は九州の県立高校から千葉の県立高校へと転校させられ、父をー 何度も何度も繰り返す父の転勤をうらんでいた。幼稚園のときから、早いと1年ちょっとで引っ越し。転校すれば、教科書は違う、言葉(方言)は違う、遊び方も食べ物も友達も住むところも何もかも違う。おまけに、福岡で受験勉強がんばって合格した県立高校も、入学して1ヶ月後に「転勤」で「転校」。で、どんな高校があるのやらまったくわからない千葉の高校をいくつも受験し直しだなんて・・・
もう振り回すのはいい加減にしてくれよ。

その前に「受験失敗」という苦い思いを味わっていた私は、編入した千葉の高校で、大学受験ではもうあんな嫌な思いを味わうまいと、それなりに勉強していた。だから成績は比較的よかった。
でも、彼だけは抜くことができなかった。

D判定でも諦めない。
前向きで明るい。

小学校で父親を亡くして母子家庭で育っていた彼は、自分の母親のように社会的に大変な状況にある人を助けたいと思い、弁護士を目指していた。

仕事のモチベーションが「金(money)」しかない人は、すぐわかる。
彼のように、人を助ける、誰かの役に立つ、社会をよくすることが勉学や仕事のモチベーションになっている人は、強い。
あきらめない。

私が奈良の大学を選び、一校だけ受験し、合格した後、
彼も、D判定だった東大に現役で合格したことを知った。
当時、全国紙が「聾唖者として初の合格」と記事にしていた。

その後、私が大学卒業し、最初の会社を辞めて青年海外協力隊として
フィリピンへ赴任していたとき、
母が新聞記事の切り抜きを国際郵便で送ってくれた。
彼が、5年かけて大学卒業し、社会人になり5年め(大学在学時から8年め)、市役所の仕事をしながら何度も司法試験にチャレンジし、
前例のないところで闘い、
ついに日本で初めて聾唖者として司法試験に合格した、
という全国紙の記事だった。

先週、彼の連絡先を調べ、連絡したところ、返事がきた。
忘れたかな・・と思った私のことを憶えてくれていた。
弁護士業をはじめて17年になること。
依頼者の8割が健常者で、2割が障害者であること。
社会的に困っている障害者の役に立ちたい・・と思っていたら
いつのまにか17年が経ってしまったこと。
来年2016年4月より障害者差別法が施行されるので、
その頃には障害者を取り巻く状況も変わると期待していること。

あの頃と変わってないね。
今までやってこられたのは
あなたのおかげでもあるかもしれない。
あのとき出逢えて本当に良かった。
ありがとう。

*昨年(2014年)全国紙に取材された際の彼の言葉
『スピード感ばかりが尊ばれる社会が、人々の本当の幸せになるのだろうか。人と人が分かり合うコミュニケーションは、本来、時間がかかるものだ。一歩引いて、あえて時間をつくってゆっくりやることが必要なのではないか』
(写真は高校3年の文化祭、豆腐を使ったヘルシードリンクの店をやった時)

田門浩さん_薬園台高等学校

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