東京大学大学院日記(5)

2012年9月に合格発表を見て、郵送でも合格通知を受け取る。

その後は、年内にやることはない。

そして、年が開けて、3月に改めて入学許可の文書が郵送されてくる。

2013年の場合は、3月4日付。

中旬に、所定の期間が設けられ、この期間に入学手続きをおこなわない場合は、入学取り消しとなるので要注意。

2013年の場合は、3月13日から3月15日までの3日間のみ。

時間は午前10時30分から11時30分までと、13時30分から15時30分まで。

要するに、一日あたり、実質3時間のみ。

それが3日間だから、合計9時間のみ。

社会人にとっては、結構きつい。

3月中旬に予定を入れることには注意しておこう。

提出書類として必要なのは、学籍票(郵送されてくる)、写真一葉、卒業証明書(既卒者は必要無し)、退学証明書(該当者のみ)、在留カードの写し(外国人のみ)、勤務先の長の承諾書(学業に従事させます、という文書)、入学振込金受付証明書、授業料預金口座振替依頼書(授業料は口座引き落としとなるため)。

入学料は、2013年の場合、282000円。

授業料は、2013年の場合、267900円。

2年間の合計で約150万円が必要となる。

そのほかに、通学定期代も必要。

勉強の準備とともに、資金の準備も必要である。

東京大学大学院日記(4)

これまで大学院の面接は4回受験した。

どれもが「三対一」。

受験生一名に対して、面接官が三名。

ところが、農学生命研究科の面接会場のドアを開けたら、カタカナの「コ」の字型に、先生方がずらっと並んでいるのだ。

指を出して数えるわけにもいかず、実際に何名いらしたのかどうかわからないが、25名ぐらいいらっしゃるような印象だった。

ひぇ〜

目が丸くなった。

ただ、驚いている場合ではない。

ともかく、社会情報学で落とされたのを挽回しなくては。

順番としては、

1、自己紹介(キャリアの説明)

2、なぜここを受験したか

3、入学できたら何を研究したいか

の3つについて、5分間で述べよ、というものだった。

これは、面接の前に説明してくれるので、待合室で準備すればOK。

落ち着いて説明することができた。

また、先生方から来る質問も

「フードバンクというのは国によって目的が違うのでしょうか」

など

専門的な内容で、自分に答えられるもののみで、明治大学大学院や東京大学大学院の社会情報学で聞かれたような

「なんでこの学部を受けるのか」

とか

「こんな論文うちじゃ通らない」

などというものではなかった。

安心して終えることができ、おそらく合格しただろう、と思った。

2012年8月。

発表は、2012年9月11日だったと思う。

ホームページでも発表になるが、農学では、教務のところに受験番号がはり出される。

よかった。あった。

東京大学大学院日記(3)

実は東京大学大学院の学際情報学府の志願を提出した後に、フィリピンへ出張する機会があった。

2012年7月。

余剰農産物であるオクラを救う仕事。

日本で決められた規格のため、たくさんのオクラが無駄になっており、それを救い、預かり、生活困窮者や栄養改善の活動に使うという内容。

そして、帰国したとき、「社会人で通うことができる大学院」を検索したとき、出てきたのが「東京大学 大学院農学生命研究科」だった。

あっ、そういえば農学があった!

農学を出しておこう。

そう思い立ったのが、確か締め切りの3日前ぐらい。(もう少し日にちがあったかも)

学部の卒業証明書や成績証明書はもちろん、大学院時代の修了証明書や成績証明書もすべて出さなければならない。

女子栄養大学大学院の教務の方には無理を頼んで、郵便局へ走っていただいた。本当にありがたい。

奈良女子大学は、あまりに遠く、予定があったので行くこともできず、教務に電話した。

滑り込みセーフ。

農学生命研究科には、直接、願書を取りにいった。

係の方には「日数が少ないので注意してください」と言われた。

受験は2012年8月。社会情報学と同じ時期に、別々の筆記問題、英語を受けたので、真夏に合計4回ほど受験した。

つまり、社会情報学の筆記、社会情報学の英語(TOFEL)、農学の筆記、農学の英語(TOFEL)。

今から考えれば、先生や大学関係者の方も大変だ。せっかくの夏休みの時期はゆっくりすることもできず、受験の対応をしなければならない。

そして、面接も同じく。

社会情報学の面接で打ちのめされていたが、農学は、考えてみれば、食と非常に関係が深い学科だった。

そういえば、自分のかつての博士論文は、ここ東京大学大学院農学生命研究科で実験した内容ではなかったか。

獣医学研究室で、腸内環境を調べて頂いたのだった。

社会人で面接を受けるのは3名。私は2番目。

面接室のドアを開けて面食らった。

(続く)

東京大学大学院日記(2)

玉砕し、次に受験したのが東京大学大学院、社会情報学専攻。

なぜなら、秋葉原から通うのに、御茶ノ水の次に近いのがここだから。

秋葉原から始発のバス(駒込駅南口行き)に乗れば、15〜20分で到着する。

埼玉県坂戸市にある女子栄養大学大学院と違い、自宅・勤務先・大学院の距離関係がどれも30分ぐらいでおさまる。

よし、ここだ。

ものものしい数の書類をそろえ、提出し、受験。

2012年8月。

筆記試験と英語の試験(TOFEL)は合格した。

受験生の数も半端ではなく、同じ専攻は82名ぐらい受験し、一次試験に合格したのが27名。

そして二次試験(面接)。

例によって三対一(面接官三名、受験生一名)。

大学院の面接は、三対一が定番らしい。

ここで聞かれたのは

「あなた、何学部受けにきたの」

「なんで学位(博士号)を持ってるのに受けるの」

といった質問。

要するに、なんで栄養学の人が畑違いの学科を受けるわけ?しかも、もう学位持ってるじゃん。という質問。

夏目漱石は、博士号を持つ者を「不具者」と称している。

世間的には、博士はなんでも知っているかのように誤解されているが、そうではなく、狭い狭い、針の先を研究した人なのだから、そうではない、と夏目漱石は語る。

この言葉に共感する。

だから、学位を持っている人がさらに学ぶ必要は無し、という言葉に疑問を感じる。

なんでそんな針の先ほどしか研究していないのに、それで止まってしまえるのだろう??

ところで、この受験は、案の定、玉砕した。

一次試験で82名が27名になり、二次試験で27名が確か19名になった(定員20名)。

面接のやり取りで、結果は予測できた。

その後、別の大学の社会学の研究室で食品廃棄と食品ロスについての講義をした際、教授に、社会学系の大学院を2つ受験して、2つとも不合格になったことを話したところ、「相性が悪かっただけでしょう」と言われた。

日本では、社会学で食のことを研究する例が少ないそうだが、海外ではごく一般的とのこと。

「そんなところに行っても面白くなかったから、落ちてよかったんじゃない」と言われた。なぐさめてくださったのだろうと思う。

東京大学大学院日記(1)

前職で、女子栄養大学大学院に社会人大学院生として通っているとき、何が大変だったかといって、物理的な距離。

埼玉県坂戸市。

最寄り駅は若葉駅。

当時の勤務先はオペラシティ(最寄り駅は初台駅)。

まず、初台から新宿駅へ。

新宿駅から池袋駅へ。

池袋駅から東武東上線で50分近く、若葉駅へ。

仕事しながらこれを続けるのがいかに大変か。

(とはいえ、同期には静岡県から通っている方がいたが・・・凄過ぎて、私とはレベルが違う)

そこで今回の社会人大学院は、場所を重視した。

勤務先から近いこと。

もちろん、専攻も重要。

広報を担当する者として、日本で最初に広報学の博士号が取得できる大学となった、東京経済大学。ここは父の母校でもある。

が、しかし、遠い。

やめた。

御茶ノ水にある明治大学大学院には、情報コミュニケーション学科が2005年にできている。

通いやすい。

ここだ。

ということで、女子栄養大学大学院時代の指導教官にも推薦状を書いてもらい、明治大学大学院情報コミュニケーション学科を受験。

2012年2月。

筆記試験と英語は合格。

が、面接で玉砕。

三対一(面接官三名 対 受験生一名)のうち、お一人の先生から、「こんな(博士)論文、うちじゃ通らないよ」との言葉があった。

ここは、過去の卒業論文や修士論文を提出することになっている。

つまり、女子栄養大学大学院時代の修士論文と博士論文は、明治大学大学院では、通るような内容ではない、ということ。

そして不合格となった。

この大学に恨みはないが、よその大学の論文、しかも文系の先生が、ご自分の専門外の(理系の)論文を「うちじゃ通らない」と簡単に評価して良いのかな、という疑問はずっと残っている。