東京大学大学院日記(1)

前職で、女子栄養大学大学院に社会人大学院生として通っているとき、何が大変だったかといって、物理的な距離。

埼玉県坂戸市。

最寄り駅は若葉駅。

当時の勤務先はオペラシティ(最寄り駅は初台駅)。

まず、初台から新宿駅へ。

新宿駅から池袋駅へ。

池袋駅から東武東上線で50分近く、若葉駅へ。

仕事しながらこれを続けるのがいかに大変か。

(とはいえ、同期には静岡県から通っている方がいたが・・・凄過ぎて、私とはレベルが違う)

そこで今回の社会人大学院は、場所を重視した。

勤務先から近いこと。

もちろん、専攻も重要。

広報を担当する者として、日本で最初に広報学の博士号が取得できる大学となった、東京経済大学。ここは父の母校でもある。

が、しかし、遠い。

やめた。

御茶ノ水にある明治大学大学院には、情報コミュニケーション学科が2005年にできている。

通いやすい。

ここだ。

ということで、女子栄養大学大学院時代の指導教官にも推薦状を書いてもらい、明治大学大学院情報コミュニケーション学科を受験。

2012年2月。

筆記試験と英語は合格。

が、面接で玉砕。

三対一(面接官三名 対 受験生一名)のうち、お一人の先生から、「こんな(博士)論文、うちじゃ通らないよ」との言葉があった。

ここは、過去の卒業論文や修士論文を提出することになっている。

つまり、女子栄養大学大学院時代の修士論文と博士論文は、明治大学大学院では、通るような内容ではない、ということ。

そして不合格となった。

この大学に恨みはないが、よその大学の論文、しかも文系の先生が、ご自分の専門外の(理系の)論文を「うちじゃ通らない」と簡単に評価して良いのかな、という疑問はずっと残っている。

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