弱点と人と都市

人に対しては「弱点をさらせ、そのほうが親しみをもってもらえるし、好かれる」などと言います。

では、なぜ、都市に関しては、弱点をさらさないんだろう。

横浜市は中華街など観光都市で有名ですが、中華街のそばには寿町(ことぶきちょう)があり、困窮者の方に安価に食べてもらえる食堂や福祉施設があります。

テレビ撮影や取材などでよく通っていました。

「横浜」を打ち出すときは、よい側面を出し、決して「寿町」をおもてに、前面に出すことはないですね。

ニューヨークもしかり。

ニューヨーク市のブロンクスでは、住民の37%が食料に困っているとのこと(2016年6月29日発行、ナショナル ジオグラフィック特別編集 ナショジオと考える 地球と食の未来 より)。

でも、世間で言われるニューヨークは、すべて華々しい部分だけに焦点をあてたもの。

100%完璧な人がいないと同様、100%完璧な都市もない。

だったら、弱点をさらけ出して、「この部分が困っているから、みなで解決していきましょう」ってすればいいのでは。

これまで取材などで協力すると、そこまで度量の深い自治体っていないように思います。

みな、見せたくない部分は見せないようにしている。

もちろん、わざわざ汚く見せる必要はないんだけど、逆に、いいところしか見せないのもうそくさい。

ちょうど、いいところしか見せない人が胡散臭いように。

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自己保身は社会に対する「改悪」

行政からのご依頼の講演で、「1時間の講演に対して7時間の拘束時間は長過ぎる」「プログラム見ても、ここまで講師が待機する意味ないと思う」と率直に申し上げてしまいました。これまで毎年のシンポジウムのたびに、依頼された人たちは我慢していたのだろうなあ。そういえば前の会社辞めるとき、大手新聞社の方が「こんなにはっきり意見を言う人は初めてでした」とおっしゃったっけ。巨大組織におもねる人が多いのだとそのとき感じた。前例や仕事の慣習がおかしい、意味ないと思ったら、直接、その当事者に言えばいいと思う。だめもとで。提案してみて。変わる可能性はゼロではないんだから。当たって砕けて。それをせずして、どこかでくだまいてる人が多過ぎるんでないの。自分も会社の看板背負って言えなかった時期があるからわかるけど、そういう行為は自分の保身であり、社会に対する「改悪」だとすら今は思う。

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Facebookはカラオケルーム

ちょっと変なたとえかもしれないけど、Facebookって、みんなでカラオケルームで歌いあっているようなイメージを持っています。自分だけマイクを独り占めしない。他の人の歌も聴いてあげる。ザ•リッツ•カールトン元日本支社長の高野登さんのお話を聴いていて、そんなことを頭に浮かべました。Speech of Noboru Takano

アメリカで20年以上ビジネスの世界で揉まれた高野さんは、決してアメリカ礼賛ではなく、『たとえ小さな結果しか見えなくても最大の努力を惜しまない、というのが日本人の考え方』『でも昭和50年代を契機に、とにかくうちさえ儲かればいい、というアメリカンマネジメントになってしまった』とおっしゃっていました。

石灯籠の内側に彫られた言葉、今は「商売繁盛」(うちが儲かりますように、という願望)ですが、かつては「諸国客衆繁盛」(お客さまが繁盛しますように、という、ほかの人のことを慮る祈り)だったとのこと。言葉や文章には、その人の持ついろんなものがにじみ出てしまう。反面、言葉をあやつり、うそを語る人もいる。言葉を紡ぐ、文章を綴るという営みは、あなどることができません。

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株式会社office 3.11について

office 3.11は、私が食品メーカーを辞めた2011年夏に立ち上げた個人オフィスです。

当初は個人事業主でしたが、翌年2012年の3月1日に法人化しました。

ミッション:
私たちは、食品ロス問題についての理解を促進し、食品ロスを減らし、食品ロス問題を解決することを目指します。

ビジョン:
食品ロスが今より少なくなれば、今より良い未来が待っている。

公式サイトはこちらです。

日本語版
http://www.office311.jp

英語版
http://www.office311.jp/index_eng.html

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善意のウソ

わたし自身、嘘(ウソ)をついたことなど、何度もある。

だから、自分もウソつく人間なんだけど、

その上で、気づいた「ウソ」がある。

1つめは、「支援」のウソ。

熊本・大分の震災で、見えてきた。

自己満足のための支援であり、相手のことを思っての支援ではない「ウソ」。

とにかく、モノを送る。

自分が送りたいから、送る。

何かをしないと気が済まないから、送る。

震災のときは、刻一刻と状況が変わる。

だから、当初の情報で、個人レベルでモノを集めて、はい、ようやく集まりました、送りましょう・・・・っていうときには、もう、そのモノは必要じゃなくなっているときもある。

逆に、地元の経済や商売が復活してきたときに、大量のモノが届いてしまうと、地域経済の復興のじゃまをしてしまうことになる。

かくいう自分も、企業に勤めているときは、「社会にいい活動」というだけで、たいして精査することもせず、手放しで、無条件で賞賛していた。

まさに「思考停止」状態。

社会貢献活動の裏側まで、よく見ていなかった。

善意の仮面をかぶった裏側には、ウソがある。

次に

2つめのウソは、

仕事ができる風、だけど、社会人としてのマナーすらできていない「ウソ」。

社会人として、というより、人として。

仕事の実績をつくるためには、人を蹴倒そうが、傷つけようが、えげつないことでも、なんでもやる「ウソ」。

仕事って、「人のためになること」でしたよね。

3つめは、

喜怒哀楽のうち、笑顔(「楽」「喜」)だけを切り取ってみせる「ウソ」。

ソーシャルメディアなどで見られる。

笑顔ばかりの人は、人から褒められやすいけど、やっぱり「ウソ」だと思う。

「笑顔」という仮面をかぶって、その人の本当の心情を隠し、演じているだけ。

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自分が正直になったから見えてきたのか。

それとも、

年齢を経てきたから見えるようになってきたのか。

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