善意のウソ

わたし自身、嘘(ウソ)をついたことなど、何度もある。

だから、自分もウソつく人間なんだけど、

その上で、気づいた「ウソ」がある。

1つめは、「支援」のウソ。

熊本・大分の震災で、見えてきた。

自己満足のための支援であり、相手のことを思っての支援ではない「ウソ」。

とにかく、モノを送る。

自分が送りたいから、送る。

何かをしないと気が済まないから、送る。

震災のときは、刻一刻と状況が変わる。

だから、当初の情報で、個人レベルでモノを集めて、はい、ようやく集まりました、送りましょう・・・・っていうときには、もう、そのモノは必要じゃなくなっているときもある。

逆に、地元の経済や商売が復活してきたときに、大量のモノが届いてしまうと、地域経済の復興のじゃまをしてしまうことになる。

かくいう自分も、企業に勤めているときは、「社会にいい活動」というだけで、たいして精査することもせず、手放しで、無条件で賞賛していた。

まさに「思考停止」状態。

社会貢献活動の裏側まで、よく見ていなかった。

善意の仮面をかぶった裏側には、ウソがある。

次に

2つめのウソは、

仕事ができる風、だけど、社会人としてのマナーすらできていない「ウソ」。

社会人として、というより、人として。

仕事の実績をつくるためには、人を蹴倒そうが、傷つけようが、えげつないことでも、なんでもやる「ウソ」。

仕事って、「人のためになること」でしたよね。

3つめは、

喜怒哀楽のうち、笑顔(「楽」「喜」)だけを切り取ってみせる「ウソ」。

ソーシャルメディアなどで見られる。

笑顔ばかりの人は、人から褒められやすいけど、やっぱり「ウソ」だと思う。

「笑顔」という仮面をかぶって、その人の本当の心情を隠し、演じているだけ。

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自分が正直になったから見えてきたのか。

それとも、

年齢を経てきたから見えるようになってきたのか。

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