Facebookへの投稿、88名シェア、850名以上のいいねに驚き

先日の投稿(くれくれ星人)、Facebook上では予想だにしなかった反響に驚いています(88名シェア、850名以上のいいね。添付サイトがシェアされ、投稿文章がシェアされないFacebookの仕組みはちょっぴり残念)。

内容そのものより、言えない気持ちを抱えて生きることへの共感があったのかもしれません。

自分の気持ちに蓋(ふた)して生きている人、理不尽な思いを抱えながら働いている人、人にどう見られるかを気にして生きている人が多いのかもしれない。そう感じました。

社会で生きていく上で廻りと調整することは必要だけど、あまりにそれが過ぎると、自分が自分ではない生き物になってしまう。世界で一つだけの命。それでいいのかな。

自分の半生を振り返り、心の底から沸き上がる思いや感情に素直に従って生きるのがいいと感じます。それが、表面的には体裁がよくなかったり一時的には損に見えたりしても、結果的には、そのほうが自分にとって心地よい人生に繋がると思います。

思いがこころのバケツから溢れ出てきたとき、それを言葉に紡いで伝えると、相手への伝わり方が違うと感じます。

自分の命や生きざまを こころの底から大切にする。それを言葉にし、相手に伝わるように届ける。

(写真は今年5月イタリア・ヴェネツィアで撮影したもの)My post on the 28th of June got 850 likes and 87 shares. The photo was shot at Venezia, Italy last May

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「くれくれ星人」お断り

一度もお会いしたことのない方から「2時間会ってください」「○○を教えてほしいので時間つくってください」「いつもFacebookでご活躍見ています。一度お会いしたい」「(ただで)教えてください」といった依頼があります。

また、一度もしくは数回お会いしただけの方から「あのメディアにこれを紹介してください」「あの会社にこれを売りたい」「これをご指導ください」「あの人の態度にほんと困っているので話を聞いて欲しい」などの依頼があります。

ここ数ヶ月、できる限りそういう(仕事ではない)ことに応えてきました。

でも忙しい中、時間を割いても、ご自身のメリットさえ得られたらすぐいなくなってしまわれるのです。

自分はお金を払いたくないけど相手はお金や時間を費やして自分の望みを聞いてくれて当然、と思っているのでしょうか。

自分はただで欲しいけど相手には何もあげない「くれくれ星人」なのでしょうか。

Facebookでは、一度もお会いしたことのない方からの友達申請に対し、ご説明しておことわりしたら逆ギレされました。

Facebookは、その外でも交流のある人がより繋がるためのツールであり、知らない人にリクエストしないでください、とFacebook側も案内しています。

頼む方は一対一の時間しか費やさないかもしれませんが、頼まれる方は、複数積み重なると、相当な時間数になります。

時間とお金がありあまるほどあればすべてにお応えできますが、時間とお金の限界があるので、すべてのご依頼にお応えしていたら私自身が困ってしまうのです。

どうかご理解頂き、ご寛容賜れば幸いです。

古物商取引認可を取得しました

骨董市が好きで、仏像や食器、古い時代の雑誌やレコード、洋服、切手など、国内・海外問わず、気に入ったものを見つけたときに購入しています。古いものが暮らしの中にあると落ち着きます。

オフィスを立ち上げた時点で古物商のことを頭に入れており、古物商取引認可を今年の4月に取得しました。古物商認可の申請先は警察署なんですよね。意外かもしれませんが、法人の定款にも古物を扱う旨を入れてあります。

大変つたなく、恥ずかしながら、ネットショップを作成してみました。書籍はAmazonに載せたほうが注目が集まるのかもしれませんね。
古物商は長期的に考えてのことなので、今すぐにというわけではありません。亀の歩みで、気が向いたときに載せてみようと思います。

http://shop.office311.info

広報とは、組織内における第三者の目

仕事でつらいとき、いつも励まされてきた言葉がある。
その言葉と出逢ったのは、東日本大震災(3.11)が起こる3日前。
当時、私は外資系食品企業の広報室長だった。
その紙にはこう書いてあった。
『広報は、本当に深い仕事だと思います』
『一言で言えば、組織内における第三者の目であるといえるでしょう』
そうだ。
広報は、組織の人たちが気づかない良い面を引き出し社会に伝える仕事であり、
組織の論理でこり固まった組織を第三者の目で見、厳しく指摘する仕事でもある。
組織にどっぷりと浸かってしまうのではなく
片方の足は会社(組織)に、
もう片方は社会に、を心がける。
「広報」が世で語られるとき、違和感があった。
とにかく言いたいことをじゃんじゃん発信していくのが「広報」だ。
とか、
金のかからない無料の広告。
といったような。
違うよね。
「広く報せる」(広報)も大事だけど「広く聴く」(広聴)も大事だね。
その紙には、こうも書いてあった。
『しかし第三者の目を持つことは、非常な困難と孤独を伴います』
『組織の論理に流されていれば、たいていのことはまずまずのレベルで済んでしまうからです』
『第三者の目を持ったために(中略)抵抗され、挫折することもたびたびです』
ほんと。
真の広報の仕事をわかってくれている人がいたことに感銘を受けた。
組織の論理に流され、言うべきことを言わずにいる組織人がどれだけいることか。
この紙に書かれたメッセージは
Go Egami(江上剛)さんが、当時、閉会となった広報研究会に、元企業広報として、2005年講師として投げかけてくださったものである。
企業広報そしてNPO広報として、組織の中で広報の責任者として取り組んでくる中で、落ち込んで、やる気力も精神力も失ったとき、いつも持ち歩いているこの紙を取り出し、眺め、読み返し、やる気を持ち直してきた。
月刊誌「広報会議」での半年間連載のコラムでも、この話を引き合いに出した。
今は、「広報」と呼ばれる立場ではないけれど、
真の広報の精神をこころに留めているつもりでいるし、
広い意味では「つたえる」「つたわる」ための仕事をし続けていると思っている。
そして、
経営者こそ、この精神を心に留めるべきと考える。
震災以降、この4年間を支えてくださった江上さんの言葉に感謝しています。
ありがとうございます。
(写真、左が江上剛さんからのメッセージでいつも持ち歩いている紙、右は月刊誌「広報会議」で半年間コラムを連載していたときのもの)
The Value of Corporate Communication
I’m so impressed with the message by Go Egami

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