悔しさを糧にする

生きていれば味わう、悔しい気持ち。

受験や就職試験の失敗、理不尽な人事評価、などなど。

悔しさから生まれるエネルギーを、誰かをうらんだり憎んだりすることに使うのではなく、自分自身が伸びることに使う。

そうすれば、悔しさも、糧になる。

誤解を理解に変える努力

今回、味の素さんと大塚製薬さんの工場・研究所を訪問させて頂き、感じたことがあった。

「誤解を理解に変える」

自分ももと食品メーカー勤務として、味の素さんは販売元としてお世話になっていたし、大塚製薬さんは諦めずにねばる姿勢を尊敬していた。

ただ、社会は理解者ばかりではない。

味の素は、誤解を受けるシーンもこれまでにあった。

見学させて頂いて感じたのは、「味の素は、砂糖を発酵させてつくっている」など、素材の良さにフォーカスしたプレゼンテーションを意識しておこなっているということだった。

大塚製薬さんの場合は、輸液事業から「ポカリスエット」を生み出すわけだが、発売当初は「なんだこれは」という声もあった。これまでの市場に存在しないものだったからだ。

それが、いまや発売して何十年と経ち、健康なときだけでなく、スポーツの際、病気の際、人々に受け入れられてきている。

カロリーメイトしかり。

ちょっとやそっとじゃあきらめない。

この粘り強さが素晴らしい。

「誤解」

というと語弊があるかもしれないが、

理解されない状態から、理解してもらえる状態になるのには、時間がかかる、努力も要る。

それを、大企業が、地道におこなっているという事実。

いや、地道におこなってきたからこそ、ここまで大きくなったのだろう。

組織だけでなく、人も同じではないだろうか。

「誤解を理解に変える努力」を、自分はしているだろうか、し続けているだろうか。

組織の責任、個人の責任

大学生がテーマパークで迷惑行為を繰り返したため、大学側が謝罪の記者会見を開いたことに対して、おかしい、個人の責任であり大学が謝罪することではない、というブログの記事があった。

ある面では理解できるが、かといって、大学側が問題を放置してよいのか、というと、違うと思う。

大学も、その人物の所属する組織である以上、責任は伴うのではないか。

逆のケースを考えてみる。

東京電力。

組織として、責任を負わなければならないのは当然である。

ただ、従業員一人一人はどうなのか。

全社員が関わっていたわけではなくとも、その組織に所属する個人は、肩身の狭い思いをしている。

組織に所属するということは、それによる恩恵を受けると同時に、リスクもはらむ。

組織が個人を採用することにより、個人の力を組織に注ぎ、成長させると同時に、リスクもある。

それを覚悟で、組織は個人を入学させ、あるいは採用し、個人は組織に所属するべきだと思う。

対等な議論のために実名と顔写真を出すこと

ある方が、匿名の人からのネット上での批判を受けていた時期があった。

ただ、その方は、こうおっしゃっていた。

「自分は実名と顔写真を公開しているが、相手はそのどちらも出していない。そうであれば、対等な議論ができるはずがない。だから相手にしない」

実名と顔写真を公開することには、リスクもある。

実名も顔も伏せての発言とは、そのリスクは、全く異なる。

だから相手にしない、と。

ものづくりよりデザイン

最初の就職の頃から、折に触れて読んでいる本。

「村田昭治のマーケティングハート」。

著者がハーバードへ留学したとき、教授から聴いた言葉。

食品メーカーは、モノをつくるのではなく、人間が何を口にするかというメニューを研究開発し、具体的にデザインする会社になることである、と。

そうでなければ、生き残ることはできない。

会社だけでなく、人も同じではないか。

与えられた仕事をするだけでは不足であり、新しいものを提案していく、チャレンジしていくこと。