3月11日生まれのある男の子が「この日に祝うことなどできない」と言ったそうです。そうしたところ、僧侶が「そんなことはない。君は、毎年、その意味を考えていく機会を与えられたのだ」と答えたという話をどこかで聞きました。
2011年から今までの4年間、誕生日を祝う写真は載せることができていません。この日に亡くなった方に対して、また避難所や仮設、みなし仮設などの厳しい環境の住居でいまだ暮らしている方に対し、不謹慎と感じたからです。震災翌月の2011年4月から食料の支援物資を運搬し、仮設や避難所への炊き出しなどを通し、そこに置かれた状況を身にしみて感じてきました。
3.11は、私にとって、単に誕生日というだけではありません。震災支援を始めるきっかけとなった日であり、会社を辞めるきっかけの一つとなった日であり、そして立ち上げた個人オフィスの名前でもあります。震災のあと、外資系企業の管理職を辞めるとき、相当、悩みました。10年以上かけてコツコツ築いてきたもの、たとえば人間関係や社会的地位、待遇など、恵まれた環境やものを一気に投げ打つ覚悟と決心は、なかなかつけられなかった。ノイローゼになるくらい悩んだ。最終的にはアウェイに飛び込みました。
被災した方と同じ状況になることはできないし、大切な人を亡くした方と同じつらさを味わうことはできません。けれど、あの日以降、私の中から3.11が消えたことはありません。人の痛みや弱みに寄り添うことのできる人、察せられる人でありたいです。
I appreciate it you remember my birthday,. Four year passed since the 3.11 disaster occured.
「震災支援」カテゴリーアーカイブ
3.11をYahoo!JAPANで検索すると一人あたり10円が被災地に寄付されます
今日は3月11日。
Yahoo!JAPANで「3.11」と検索すると、一人あたり10円が被災地に寄付されます。
私の誕生日であり、震災当時の勤務先を辞めるきっかけの一つになった日です。
オフィスの名前にも3.11を入れています。
ラジオ日本「エシカルWAVE」収録と大阪・香川・神奈川・埼玉の講演
これからラジオ収録です!18日(水)24:30〜25:30、ラジオ日本「エシカルWAVE」にイデルミとして出演します。社会貢献活動に関わるきっかけや、外資系食品企業を退職して独立した背景、食品ロスやフードバンク、拙著「一生太らない生き方」、大学の講義や広報活動などについてお話します。MCは井手迫義和さんと白木夏子さん。井手迫さんとはInter FM出演以来なので楽しみです。Appear on the radio program “Ethical WAVE” from 24:30 to 25:30 on the 18th, I’m visiting the radio station for the recording
http://www.jorf.co.jp/PROGRAM/wave.php
来週20日(金)から27日(金)までは大阪・香川・神奈川・埼玉で講演します。大阪と神奈川は一般の方も参加できますので、ぜひいらしてくださいね。Make presentations on food-loss issue at Osaka, Kagawa, Kanagawa and Saitama from the 20th to the 27th
「食品ロスの現状と私たちにできること」大阪府枚方市
http://www.city.hirakata.osaka.jp/soshiki/d1gyoum/gomigenryoukouenkai2015.html
「食品ロスとフードバンク」神奈川県川崎市高津区
http://www.city.kawasaki.jp/takatsu/page/0000064214.html
東日本大震災の月命日に
月命日(11日)には必ずメールで連絡をとっている宮城県石巻市在住の女性に、今朝もメールした。It past three years and nine months since the 3.11 disaster occurred on March 11th, 2011. So far I’ve communicated with a woman who suffered from the disaster in Ishinomaki, Miyagi
「体調がよくなくて、仙台まで病院通いをしていました。」
「気持ちだけは元気です」
彼女と知り合ったのは2011年4月。
私は、
東日本大震災当時つとめていた食品企業で、
広報と栄養関連の業務をしながら
支援物資を被災地に運ぶ、
その手はずを整える役回りをしていた。
当時、支援物資の備蓄先となっていた石巻運動公園に運び、
企業の公式Twitterで、
ぜひ、役立てていただきたい旨を告知した。
そのとき
「個人宅避難でも受け取れるんですか?」
と問合せをくれたのが彼女だった。
ペットがいること、
疾病をかかえていることから
避難所には入れなかったのだ。
市に問合せをしたところ、
個人宅には支援物資を運ぶことはできないので
「避難所まで取りにきてください」との回答。
彼女は具合が悪く、
車もなく、
避難所は遠過ぎて、
食べ物を取りに行くことができない。
後日、石巻まで、食品と一緒に、
当時在庫が少なくなっていた扇風機、
冷やしまくらなどを持っていった。
以来、
ささやかながら、
支援の食べ物や寄付をさせて頂いたり、
メールや手紙で連絡をとり続けてきた。
震災は過去のことだけど、
今も避難している人がたくさんいる。
過去であって、”過去” ではない。
大切な人を亡くした人がいる。
仕事をなくした人がいる。
体調が悪くなった人がいる。
自分のいのちがあり、
仕事があり、
家族がいて、
家があって、
暮らすことができることは、
当たり前のようだが
当たり前のことではない。
自分のいのちがある限り、
心の中から伝えたいこと、
みんなに言いたくてたまらないこと、
やりたくてたまらないことは、なんだろう。
せっかく授かったいのちを、
いいかげんに浪費してはいないだろうか。
たとえ明日いのちが亡くなっても後悔しない生き方を、
自分はしているだろうか。
(写真は鎌倉の寺で撮影した花)
東日本大震災から3年7ヶ月
今日は2014年10月11日。東日本大震災から3年7ヶ月。
It past three years and seven months since the 3.11 disaster occurred
大学を卒業して最初の勤務先であるライオン株式会社。研究所時代の同期、業務研究コンテスト準優勝チームのメンバー4名で、昨晩集まりました。キャリアマンガ「イデルミ物語」2011年バージョンに白衣姿で載っている同期男性たちです。毎回集まるのは、5名中、遠方に住んでいる1名をのぞいた4名。私以外の3名は、ライオン(株)にずっと勤め続けています。ライオンはいい会社です。社員も温厚であたたかくて。社会人としての私の土台はここでつくられたと考えています。当時の直属上司のお二人とも、今もやり取りさせて頂いています。ライオン(株)研究所を辞めたあとは、青年海外協力隊→紀伊国屋書店→日本ケロッグ→今 に至ります。日本を出てフィリピンに住んだり、職場を変わったりしてしょっちゅういなくなっているにも関わらず、毎回必ず声をかけてくれるみんなに感謝。ありがとう。
今日は11日。生きたくても生きられなかった命を思い、いまある命とつながっているご縁に感謝して大切にして生きたい。