3月11日生まれのある男の子が「この日に祝うことなどできない」と言ったそうです。そうしたところ、僧侶が「そんなことはない。君は、毎年、その意味を考えていく機会を与えられたのだ」と答えたという話をどこかで聞きました。
2011年から今までの4年間、誕生日を祝う写真は載せることができていません。この日に亡くなった方に対して、また避難所や仮設、みなし仮設などの厳しい環境の住居でいまだ暮らしている方に対し、不謹慎と感じたからです。震災翌月の2011年4月から食料の支援物資を運搬し、仮設や避難所への炊き出しなどを通し、そこに置かれた状況を身にしみて感じてきました。
3.11は、私にとって、単に誕生日というだけではありません。震災支援を始めるきっかけとなった日であり、会社を辞めるきっかけの一つとなった日であり、そして立ち上げた個人オフィスの名前でもあります。震災のあと、外資系企業の管理職を辞めるとき、相当、悩みました。10年以上かけてコツコツ築いてきたもの、たとえば人間関係や社会的地位、待遇など、恵まれた環境やものを一気に投げ打つ覚悟と決心は、なかなかつけられなかった。ノイローゼになるくらい悩んだ。最終的にはアウェイに飛び込みました。
被災した方と同じ状況になることはできないし、大切な人を亡くした方と同じつらさを味わうことはできません。けれど、あの日以降、私の中から3.11が消えたことはありません。人の痛みや弱みに寄り添うことのできる人、察せられる人でありたいです。
I appreciate it you remember my birthday,. Four year passed since the 3.11 disaster occured.