月命日(11日)には必ずメールで連絡をとっている宮城県石巻市在住の女性に、今朝もメールした。It past three years and nine months since the 3.11 disaster occurred on March 11th, 2011. So far I’ve communicated with a woman who suffered from the disaster in Ishinomaki, Miyagi
「体調がよくなくて、仙台まで病院通いをしていました。」
「気持ちだけは元気です」
彼女と知り合ったのは2011年4月。
私は、
東日本大震災当時つとめていた食品企業で、
広報と栄養関連の業務をしながら
支援物資を被災地に運ぶ、
その手はずを整える役回りをしていた。
当時、支援物資の備蓄先となっていた石巻運動公園に運び、
企業の公式Twitterで、
ぜひ、役立てていただきたい旨を告知した。
そのとき
「個人宅避難でも受け取れるんですか?」
と問合せをくれたのが彼女だった。
ペットがいること、
疾病をかかえていることから
避難所には入れなかったのだ。
市に問合せをしたところ、
個人宅には支援物資を運ぶことはできないので
「避難所まで取りにきてください」との回答。
彼女は具合が悪く、
車もなく、
避難所は遠過ぎて、
食べ物を取りに行くことができない。
後日、石巻まで、食品と一緒に、
当時在庫が少なくなっていた扇風機、
冷やしまくらなどを持っていった。
以来、
ささやかながら、
支援の食べ物や寄付をさせて頂いたり、
メールや手紙で連絡をとり続けてきた。
震災は過去のことだけど、
今も避難している人がたくさんいる。
過去であって、”過去” ではない。
大切な人を亡くした人がいる。
仕事をなくした人がいる。
体調が悪くなった人がいる。
自分のいのちがあり、
仕事があり、
家族がいて、
家があって、
暮らすことができることは、
当たり前のようだが
当たり前のことではない。
自分のいのちがある限り、
心の中から伝えたいこと、
みんなに言いたくてたまらないこと、
やりたくてたまらないことは、なんだろう。
せっかく授かったいのちを、
いいかげんに浪費してはいないだろうか。
たとえ明日いのちが亡くなっても後悔しない生き方を、
自分はしているだろうか。
(写真は鎌倉の寺で撮影した花)
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