居場所を転じることの良さ

都市銀行の銀行員だった亡父の転勤のため、北海道から九州まで、転々として育った。

そのせいで、転校も幾度となく繰り返し、小学校は3つ、中学校1つ、高校2つ、通った。

大学は、学部と大学院とで2校通い、4月から3校目に通おうとしている。

居場所がどんどん変わっていくので、自分がどこの人間なのか、わからなくなる。

よく問われる質問に「出身はどこですか」というのがあるが、私の場合、御茶ノ水で生まれたので「東京都千代田区」ということになるが、その後すぐ札幌へ移動し、そこから府中、世田谷、埼玉、愛知、福岡・・・と移り変わっていくので、はたして本当に出身が「東京都千代田区」でいいのか、わからない。

居場所を転々とするので、10 年ひとつところにいたことが長らくなく、前職で、勤続10年を超えたとき、「ああ自分も10年ひとつところに居られる人間だった」と、ほっとした。

居場所を転じることで、物理的な距離が離れると、それとともに、疎遠になる人とそうでない人に分かれる。

つきあいが続く人とは、物理的な距離が離れようとも、所属が変わろうとも、続く。

そうでない人とはそれっきり。

人づきあいがフィルターにかけられ、ためされるという意味では、居場所を転じるのも良い。

Go find your life

今日、観ていた映画「The Help」に出てきたセリフ。

“Go find your life”

「あなたの人生を切り開いていきなさい」

前例がないことでも、皆が無理だと思うことでも、それに屈せずにチャレンジしていく姿勢。

「人は、肩書きではなく、生きざまに惹かれる」

 

雪の日に

雪なんてめったに降らない東京が、一面、雪景色に。

足下もおぼつかない人たち。

普段は飛ばしていく車も、今日は、カメのように、そろりそろりと走っていく。

普段と違う景色。

いつもと違う行動。

思考もいつもと変わる。

惰性ではいられなくなる。

自らの努力で、毎日、惰性を無くす努力をして生きていけば、人間、磨かれるのではないか。

 

表面的なことでなく、本質を語る

最初の職場の同期の仲間が遠方へ転勤になったので、昨晩、4人で集まりました。

そこで出た話題のキーワードが、「誰かの真似」「二番煎じ」「表面的なこと」など。

我々は、コンテストに応募し、「介護」「ボランティア」といったテーマで発表し、当時、準優勝しました。

ところが、昨今、応募されてくるテーマは、本質的なものではなく、しかもオリジナリティに欠けるのではないか、と。

インターネットですぐに調べられるので、昔と比較すると、いろんな意味でラクにはなっているのでしょうが、

深く考えることが少なくなってきているのでしょうか。

日々考えていることの積み重ねがあなたになる

日々、考えていることの積み重ねが、自分自身を形成していきます。

自分の考えていることに近い人が集まってきます。

学ぶのが好きな人であれば、学ぶのが好きな人、知的好奇心の旺盛な人が集まってくるでしょう。

食習慣は、良くも悪くも同じように繰り返されていき、その人のこころと身体をつくっていきます。

同様に、何を考えているか、何を志向するか、ということも、その人の考え方や、人とのつながりをつくっていく、と感じます。