お茶の水女子大学で「キャリア論」講義 文部科学省・大学間GP「大学間連携共同教育推進事業」

お茶の水女子大学で、大学院のポスドク・博士後期課程・修士課程の院生を対象に「キャリア論」の講演をします。

シリーズで開講され、講師陣はすべて女性。

次週以降のメンバーを拝見すると、とても面白そうで、自分で受けたいくらいです。

本日4月15日開講、トップバッターをつとめます。

これからキャリアを築いていく女性の役に立てる話ができるように、と願います。

文部科学省・大学間GP「大学間連携共同教育推進事業」
 課題発見・解決型Ph.D.プログラム 疾患予防科学コース・領域
  キャリア開発特論(ロールモデル編) 

 http://dpsc.cf.ocha.ac.jp/DPSC/news/2014/04/08/1009/

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講演・セミナーとは回答を得る場所なのだろうか

食品ロス削減をテーマとした講演をおこなった折、質疑応答で、「消費者は(食品ロス削減のために)どうすべきかを聴きに来たので、もっと具体的なことを聴ければもっとよかった(のに)」という言葉を戴いた。

消費者もしくは消費者へ指導する立場の方を対象にした講演の場合、そういう言葉が出やすいのを感じている。すなわち、「how to」や、すぐできる「回答集」のようなものを求められるということである。

だが、食生活や購買行動というのは一律ではない。家族構成やライフスタイル、ライフステージによって異なる。

また、一人の人の中に、さまざまな食行動や購買行動がある。あるものは1ヶ月かけて食べきるかもしれないが、ある食品は今日、すぐに食べる。賞味期限への関心度合いも、一人の人であっても、まったく気にしないもの(たとえばペットボトルの飲料を買うときは気にしないだろう。実際には、ふたの部分に明記してある)もあれば、必ず確認する食品もあるであろう。

100人を対象にした講演で、講師は100通りの回答を示さなければならないのだろうか。違うと思う。

講演やセミナーとは、あくまで、そこからヒントや気づきを得て、聴講者ひとりひとりが自ら考えるものではないだろうか。






講演をやること、続けることの Pros / Cons

講演の目的の一つは、聴いた人の人生がより良くなることだと考えている。

今年一年間で、これまで44回以上の講演の機会を頂いてきた。

まだ会社員だった頃の年間最高講演回数が42回。

年間52週とすると、ほぼ毎週、講演している計算になる。

良いこともある半面、時間と体力を消費する、のどを痛める(医師の方によれば、女性は男性より喉が弱い)など、このままこのやり方で本当によいのだろうか。と考えることが少なくなかった。

企画する幹事の方は熱心でも、聴講者の中に「やらされ感」満載の方がいると、居眠りしたり私語をしたりで、せっかく時間を作っても、精神的な疲弊を感じることも多くあった。

講演をすることによるPros/Consを書き出してみたものの、ほぼ同じくらいの数が出て、結論には至らず。

でも、中には私の講演がきっかけとなり、青年海外協力隊員になって海外へ行った方や、ボランティアに参加した方、転職した方など、聴いた方の意識改革や行動の変化に繋がったケースもある。

自分自身の学びにもなっている。

いつかは、やめるときがくるかもしれない。

でも「誰かの人生がより良くなる」「自分の学び」という要素がある限り、もう少し続けてみようか・・と考え、悩んでいる。

【講演】茨城県水戸市で講演ー「いばらぎ」ではなく「いばらき」

茨城県水戸市で講演。

「いばらぎ」県だと思っていて、SNSの投稿に「Ibaragi」と書いたら、茨城県民の方から「いばらき」ですとの指摘が。

大阪府茨木市は「いばらき」だと知っていたが、茨城県が「いばらき」だとは知らず。

確かに、茨城県の公式ホームページにも「いばらき (Ibaraki )」と書いてある。

なぜ、みな、勘違いして憶えてしまっているのだろう。