部分的な思考に陥らない

昨日、福岡伸一先生の講演で、先生自身がまとめでおっしゃっていた言葉の一つ。

すべては可変的

相補的な関係性

長い時間軸

部分的な思考に陥らない

流れをとめない

以上

以前、広報研究会でおっしゃっていたのと、一貫して主張は変わらない。

「動的平衡」ということ。

生命は、たえまなく流れているということ。

メッセージは変わらず、講演の対象者によって伝え方を変えていることが印象的。

マイノリティのために生きる

数週間前に、なんとなく頭に浮かんできた言葉。

「マイノリティのために生きる」

有名な人、ブランド、名前の知られている会社など、そういったものに頼って、すがって生きていくのはラク。

だけど

それに頼らない生き方もあるし、清々しく、カッコイイと思う。

どちらを選ぶのも自由。

「常に笑顔」は信用できない

猪瀬都知事の著書だっただろうか。

「いつも笑顔でいる人は信用できない」といった内容が書かれていた。

要するに、そういう人は「笑顔のお面」をかぶっているだけのことだから。

この言葉が納得できるような出来事があった。

いつも笑顔なのに、約束を守らない。

いつも笑顔なのに、嘘をつく。

いつも笑顔なのに、人を大事にしない。

いつも笑顔なのに・・・・

 

 

マイナスをプラスに変換する

いつからこういう考え方になったのかわからないが、

何か、嫌なことがあったとき、「これは自分のためにこうなっているのだ」と考えるようにしている。

おそらく、最初は10歳のとき。

亡父の転勤で転校の繰り返し。

小学校3つめに行ったとき、方言をしゃべることができず、いじめにあった。

当時10歳の私が考えたのは、

「前の小学校で、学級委員をやっていて、いじめられている子を助けてあげなかった。自分もいじめたわけではないが、見て見ぬふりをしていた。だから神様が、いじめられる子の気持ちをわからせるために、いま、こうしていじめにあっているのだ」

ということ。

学年が上がると、いじめはなくなった。

自分でも、しゃべる努力をした。

以後、編入試験に失敗したときも、10代のときに父が亡くなったときも、「これは自分にとってこういう意味があるのだ」と、考え方を転換するようにしてきた。

もちろん、100%、ポジティブに考えられるわけがなく、何度も泣いたし、落ち込んだ。

この経験が、今の自分を創っていることは確か。

人と違っててもいい

クリスマスイブは、ちゃんこ鍋を食べました。

チキンとケーキは、無し。

青年海外協力隊としてフィリピンに2年近く暮らしてから、毎年、クリスマスがくるたびに、その意味を考えます。

フィリピンは、キリスト教徒がほとんどの国なので、イエスキリストの誕生日であるこの日は、重要な意味を持ちます。

9月ごろから街にはクリスマスソングが流れ、飾り付けがおこなわれ、人々がその日を待ちわびます。

日本はどうなのでしょう。

意味がわかって祝っている人がどれだけいることか。

商業主義にのせられているだけのような気もします。

そして25日以降には、売れ残ったクリスマス用の食べ物が、返品され、廃棄されていくのでしょう。

夢がない考え方でしょうか(笑)