建前と本音

高校の同窓会で、私と同じ、元転校生が「(転校で)人の顔色を伺うようになった」と話していました。

私はどうかな?

自分もそうなっちゃってるかもしれないけど「そうはなりたくない」部分を見ているかもしれません。

たとえば、、、

本音と建前の乖離があるか

口だけ(で行動が伴わない)か

強者におもねる(へつらう)か

群れたがるか

必要以上にベタベタ(人に)近寄るか

など。

本音と建前の齟齬があり過ぎる人を見ると、刻々と死に近づいているのに、命がもったいないなあと感じます。

「組織の建前」を背負いながら「個人の本音」を活かして生きている人は尊敬します。

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2016年11月28日発売の週刊誌AERA(アエラ)食品特集(No.53)p26食品ロス特集記事で取材内容掲載

本日2016年11月28日(月)発売のAERA(アエラ)No.53(12月5日号)(発行部数:107,592部)は食品特集。

p26の食品ロス記事で森田 悦子さんに取材頂いた内容が掲載されました(森田さんありがとうございました!)。

食品ロス削減の取り組み事例として推薦させていただいた、日本気象協会の取り組みを大々的に取りあげていただき、とても嬉しいです。ありがとうございました。

著作権に配慮して、右上と左下の端っこだけ載せます。

松雪泰子さん表紙、定価390円。

キヲスクやコンビニ、スーパー、書店などで販売中です。

Appears on the weekly magazine, AERA

http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=18630

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「困っている人を助ける人」

どの国に行っても、大都市に行っても、路上に座っている人が目に入る。トルコのイスタンブールでは、サバサンドを売る場所の近くの橋の下に、女性と赤ちゃんが座っていた。イタリアのミラノではドゥオーモのそばに背広を着た男性が座っていた。マレーシアのクアラルンプールでは、ホテルのそばの交差路に座った年配男性が、白いプラスティックの空のタッパーを持ち、道行く人に差し出していた。

どの国でも、たいがいサンドウィッチを買って持ち歩いているので、たまたま持っていたものか、自分が食べたあと、多かったので余っていたものを渡す。でも常に思うのは「これは不遜な行為ではないか」ということ。だから、渡したらすぐ全速力で走って逃げる。

「困っている人を助ける」という活動をしている人の中に、身近な人に攻撃してくる人がいる。その人の活動がこころの底からのほんとうのものなら、まず身近な人に優しくするのが先ではないか。コップから水があふれ出るように、水面に投げた石から輪がだんだん大きく広がるように、家族や友人や仲間に与えていた愛情が、そのまわりの人、そしてもっと遠くの人へと、だんだんに広がっていくのが、ほんとうの「困っている人を助ける」活動ではないのか。身近な人にすら優しくできない人が、なぜ、遠くの人や多くの人に優しくできるのか。

自分が救われたいからという自己中心的な動機で人を助ける「救世主(メサイア)コンプレックス:Messiah complex」は、本来「困っている人」が主語なはずなのに、自分(=「助ける」人)が主語になっている。自分が救世主になりたいがために、困った人(自分より下位な人)を求める。メサイアコンプレックスの人は、攻撃性を隠蔽したモラルハラスメントで攻撃してくることも多いという。メサイアコンプレックスとモラルハラスメントは同じ心理状態らしい。自分が善人だと思っているため、話し合いは通用しない。自分や隣の人すら愛せない人が、なぜ人類を愛せるのか。

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仕事に対する姿勢の話(高知にて)

高知でようやく銀行の支店長になった父が、その5ヶ月後に突然倒れ、脳梗塞で亡くなったのは46歳。病院で、当時10歳の弟と私が別室に呼ばれた。お医者さんが「脳梗塞とは、脳のこの部分の血管が詰まり、これこれこういう病気です。」と、図を書いて説明してくれた。そのお医者さんの、顔も声も忘れてしまったけれど、真摯な姿勢だけは、しっかりと記憶している。

仕事で「実」だけを必死で取ろうとするやり方には違和感を感じる。実績をつくる。数字をつくる。もちろん私だって、実績も数字も欲しい。誰だって、熱意を持って仕事をしていれば、そんなの当然だろう。でも、仕事ってそれだけじゃないよねと、あのお医者さんを思い起こして考える。

10代の子どもに、父親の死因を説明しようがしまいが、その医者に対する評価は変わらないだろう。患者はもう死んでしまったのだから。他に手の施しようもない。

なのに、その医者は、われわれ子どもに対し、誠実に向き合ってくれた。その姿勢は、私の脳裏に刻み込まれている。

仕事で結果を出す、評価される、実績を残す。でもそれ「だけ」を貪欲に追い求め過ぎるのは、どこか、こころ(愛)が抜けてしまっているように感じる。

数字だけを求めるのに違和感を感じるのは、こころがなくても数字はつくれるからかもしれない。機械じゃなくて人間が仕事してるんだから、機械にはできない部分がないと、どうも人間味に欠けると感じてしまう。

仕事に対する姿勢が、ひとのこころに深く残り、のちのちになっても咀嚼して味わってもらえるような、そんな “仕事” をしていきたい。


〈謝辞〉

真摯なお医者さんのいらっしゃった病院は、今回訪問させていただいた食品事業者の近森産業に関係する、近森病院でした。母に確認して初めて知りました。近森正久さん、谷脇寛さん、白木久弥子さん、近森産業のみなさまには、工場見学、歓待していただいて、ありがとうございました。

今回の講演に呼んでいただき、高知の思い出を新たに作ってくださった青木美紀さん、講演ご一緒させていただいた鈴木和樹さん、阿部知幸さん、大野覚さん、講演を聴きにきてくださった高橋実生さん、ワークショップに参加いただいた藤野紀子さん、ほか、今回新たにお知り合いになりましたみなさまに、感謝申し上げます。

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