捨てない・働かない・旅するパン屋は愛溢れる自然体 夫婦で年商2500万円 薪の石釜で焼く国産小麦パン

2015年からずっと行きたかったお店、ようやく念願叶いました。これからの時代の理想形の店だと思います。

https://news.yahoo.co.jp/byline/iderumi/20190207-00113924/

Yahoo!ニュース個人 オーサーアワード2018を受賞して 

2018年12月11日、Yahoo!ニュース個人の600名のオーサーの中から、オーサーアワード2018に選出して頂いた。

https://about.yahoo.co.jp/pr/release/2018/12/11a/

https://news.yahoo.co.jp/newshack/media_watch/authors_award_2018.html
現在、筆者は、まだ食べられるのに捨てられてしまう「食品ロス」をテーマに、記事執筆などの啓発活動を行なっている。発信を通してこの問題の認知を拡げ、意識や行動を変え、社会を変えていくことが目的である。

しかし、キャリアの最初から、「書いて伝えること」に特化してきた訳ではなかった。


日用品メーカー研究所、青年海外協力隊、食品メーカーの一人広報

大学の食物学科を卒業し、最初に入社したのは日用品メーカーの研究所。スキンケア商品の評価や、皮膚老化(シミ・シワ)の長期的な変化のデータを取るなどの業務をしていた。

勤務先のコンテストで準優勝した際、介護ボランティアに取り組んだことで、「ボランティアを本格的にやってみたい」と思った。

また、スキンケアの仕事も面白かったが、5歳から食べ物に関心が高かったので、「食べ物の道に進みたい」と思ったことから、会社を退職し、青年海外協力隊への参加を決めた。

赴任地であるフィリピンでは、食品加工隊員として、主にモロヘイヤを使い、手に職がない女性たちが自分たちで稼げるよう、菓子加工の方法を指導したり、野菜の摂取が少ないので、彼女らが好まないネバネバの食感を避けた調理方法を教えたり、などの活動をしてきた。

帰国後は、食品メーカーの消費者・広報室長のアシスタントとして入社。5年後には会社で一人の広報(室長)として、また栄養業務や社会貢献業務に携わった。2008年2月ごろから、まだ食べられるのに捨てられる食品を引き取り、必要なところで活用する「フードバンク」の担当窓口にもなった。この頃から「食品ロス」問題に関わることになる。マスメディアの取材も多く受け、他のフードバンク協力企業ともやり取りが始まった。

誕生日に東日本大震災発生、管理職だった勤務先を退職して独立

2011年3月11日、誕生日に東日本大震災が発生した。食料支援をする中で、食の無駄や理不尽な社会構造などを目の当たりにした。

震災の後、一方にはたくさんの食べ物があるのに、必要なところには無かった。もどかしさ、疑問、怒り、やるせなさ、悲しみ、せつなさ、など、いろんな感情が湧いてきた。

ノイローゼになりそうなくらい色々考えた末、14年5ヶ月勤め、管理職として務めていた勤務先を退職し、2011年9月に独立した(最終出社は同年7月)。独立した後の3年間は、日本で初めてのフードバンク、セカンドハーベスト・ジャパンから声をかけて頂き、広報を担当した。食品メーカーの社員としてフードバンクを担当し、フードバンクの職員も経験した人は、米国では多いが、日本ではほとんどいないと思う。

能力がないなら、ないなりに書くしかない

このように、最初から「取材して書いて発信する」職業でやってきた訳ではない。当然、その道一筋で来た人には、到底かなわない。文章力も、編集力も、取材力も、無い。比べていては、劣等感が増すばかりだ。

だが、自分の能力の無さを嘆いていても、何も始まらない。能力の無さにとらわれて何もしないのでは、状況は何も変わらない。

だったら、「目的は社会的課題の解決なのだ」と割り切り、うじうじしている暇があったら「書く」。能力がない分を補うべく、書いて、伝えていくこと。


「真の専門家は一般の目線まで降りられる人」

ある本で読んだのは、「真の専門家は、一般の目線まで降りられる人」。

医者同士は専門用語で通じても、対患者となれば、違う伝え方をするだろう。

博識ぶって、難しい言葉を使うのではなく、伝わるように伝えること。

「伝える」と「伝わる」は、たった1文字違いだが、かなり違う。前者は、発信者の立場に立っている。「伝えておいたよ、言っておいたよ」という感覚。後者は、情報の受け手のことを慮っているニュアンスが感じられる。

食品業界に存在するヒエラルキー(上下関係)が食品ロスの一因となっている

食品業界には多くのヒエラルキー(上下関係)が存在する。たとえば、欠品することは許されない、など。多くのメーカーが、必要以上に作らざるを得ない状況が生まれており、それが食品ロスの一因となっている。

ヒエラルキーの頂点に居るのは、たいてい、マスメディアにとっての広告主だ。だから、メディアは彼らに忖度(そんたく)する。悪いことは言わない、報道しない、発言をさせない。

となれば、個人として発信しているYahoo!ニュース個人のオーサーとしては、マスメディアが発信しない分野に斬り込んでいくこと。そうして書いた記事は、数百万といった単位のPV(ページビュー)で読まれた。それだけメディアの発信が少ないからだろう。

多くの方に読んで頂くためには、タイムリーな話題をとらえて記事を書くことも大切だ。


社会的課題の解決手法として世界的に注目されてきているコレクティブ・インパクト(Collective Impact:CI)

社会的課題は、1つの組織だけでは解決できない。複数の異なる組織が共通の目的意識を持ち、上下関係ではなく、平等な立場で連携しながら解決していく。コレクティブ・インパクトという手法が世界的に注目されている。

「食品ロス」もそうだ。省庁だけでは解決できないし、企業だけでもだめ、多くの組織と消費者一人ひとりが協力しなければ解決には結びつかない。

したがって、記事を書く時には、いろんな組織の読み手を頭に描いている。

食品メーカー広報室長時代、11年間で1305号の「広報室ニュースレター」を発行

所属の違う、様々な読者を想定して記事を書く。これと同じようなことを、思い起こせば、食品メーカー勤務時代にもやっていた。

自社情報や競合情報などをA4一枚にまとめ、メール添付で、社長以下全社員に配信する「広報室ニュースレター」。上司に指示されたわけではなく、自分で考えて始めた。これを、11年間で合計1305号配信した。

当時、他社の広報担当者への講演を依頼された際、お話ししていたのは、「Give & Give & Giveの精神」。情報は、発信するところに集まってくる。

最初は社員から反応がなくても、そのうち、営業部から「今朝、営業車に乗っていたら、地元のFM局が、うちの(会社の)創立記念日のこと紹介してましたよ」など、マスメディアの情報やクリッピング(組織の広報担当者が、自社のメディア掲載情報を入手するために依頼するサービス)では入手できない情報が、いろんな部署の社員(キーパーソン)から入ってくるようになった。それを社内や社外へ投げ、情報を循環させることを心がけるようになった。


自らデータを取り、現場の情報を出す

記事を発信する上では、自らデータを取る。これは新卒で入社した日用品メーカーの研究所時代から行なっていた。目尻のシワを数値化するデータを、前任者から引き継ぎ、データ取得数(n数)を10倍以上に増やした。

青年海外協力隊では、地方都市に在住していたので、そこで得られた情報を「パル通信」という手書きの壁新聞のようなものにまとめ、月一回、日本や、世界に散らばる同期隊員に送っていた。首都のマニラにマスメディアの駐在員は居たが、地方都市に根を下ろしての体験を書くのは、彼らにはできない情報発信だ。

食品メーカー時代は、前述の「広報室ニュースレター」に加え、社会人として大学院に通った。

食品を摂取した際の、皮膚状態や腸内環境の変化を調べる臨床試験を行なった。その結果を[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jisdh/16/3/16_3_205/_pdf英語論文]にまとめ、PR会社の助けを借りて日本語のプレスリリースにし、3ヶ月くらい頑張ったところ、全国紙(新聞)が取り上げてくれた。それを見てラジオが取り上げ、テレビが取り上げ、4ヶ月後にはテレビの24分間特集番組となり、自社商品の売り上げにも貢献した。

「ジャーナリスト」としてのキャリアはまだまだ素人だが、広報としてやってきたことを考えると、今やっていることは、いわば「社会的課題の広報」とも言えるかもしれない。

記事は命ある間に書き遺す遺書のようなもの

筆者の父は都市銀行の銀行員だった。北海道から九州まで、家族全員で引っ越しし、転校を繰り返しながら生活してきた。父は、念願の支店長になった5ヶ月後、他界した。46歳だった。

命はいつなくなるか、誰にもわからない。

記事は、自分の命がある間に書き遺す、遺書のようなものだと思う。その人が亡くなれば、その瞬間、書いたものは「遺書」となる。

14年5ヶ月も勤め、管理職までなった食品メーカーを辞める時、父の死のことは頭にあった。

生きていられる間の命を、何に費やすか、ということ。

「これは今日のあなたではなく、未来のあなたにあげる賞」

あるシェフが、ミシュランの三つ星を取った時、ミシュランから言われた言葉がある。

斉須政雄氏の著書、『調理場という戦場 「コート・ドール」斉須政雄の仕事論』(幻冬舎文庫)に次の記述がある。

(以下、引用)

——

すでに亡くなられたアラン・シャペルさんという料理人がいます。彼は、三つ星を取った時のことを振り返って、何かの取材で次のように語っているのです。

「ミシュランから三つ星をもらった時、『これは今日のあなたにあげるのではありません。情熱と努力で、いつかそこまで駆け上がってくるであろう未来のあなたに出すのです。これを糧に本当の意味の三つ星になってほしい』と言われた。だからぼくは、これから先はより一層、料理に邁進するのだと決心した。ミシュランに報いたいと思った」

この言葉を思い出すと、いつも勇気が出てきます。いいものを育てるための大きな包容力や長い時間が感じられるからです。自分も時間をかけていいものに至りたい。いいものを育んでゆきたい。そう思います。

:|斉須政雄著『調理場という戦場 「コート・ドール」斉須政雄の仕事論』(幻冬舎文庫)

(以上、引用終わり)

2018年3月、筆者は「第二回食生活ジャーナリスト大賞」食文化部門を受賞した。


http://www.jfj-net.com/7761

2018年12月には、国内外600名のオーサーの中から「Yahoo!ニュース個人 オーサーアワード2018」を受賞した。

https://about.yahoo.co.jp/pr/release/2018/12/11a/

前述の文章を読むと、「賞は、今の自分に頂いたものではなく、未来の自分に頂いたものだ」と思う。

文章が書けなくなってしまったうつ状態の時期

かつて途上国で暮らしていた時、任期の最後の方で、自覚なしにうつ状態になり、急遽、帰国となった。仕事は辞めてしまっているから無職。時間はあるけど、何のやる気もない。大好きなお寿司を食べても、まるで砂を噛んでいるようで、味がしない。お世話になったフィリピンの人に手紙を書こうと思っても、思考が働くなっているのか、文字を1文字書いたら止まってしまう。一生このままだったらどうしようと思った。どん底だった。

2つの受賞は、お世話になってきた方全員にお伝えしたい。そのほかにも、もし伝えられるとしたら、今、精神的にどん底にいる人に伝えたい。

一文字しか書けなくなった人間が、文章が書けるようになった。人に伝えられるようになった。どん底にいる人にとって、「どん底に落ちても、そこから這い上がることができるんだ」という、ささやかな望みになるかもしれない。

伝わるように伝えていく

振り返れば、ジャーナリストとしてキャリアや実力が十分ではない、という渇望感や劣等感こそが、筆者が記事を書き立てる原動力になってきたかもしれない。

そして、命がいつまであるかわからない、有限である、という思いも。

記事を読んで下さる多くの皆様に感謝し、これからも、「伝わるように伝えていく」ことを心がけていきたい。

Yahoo!ニュース個人 オーサーアワード2018受賞スピーチ概要 なぜ食品ロス問題を書いているのか

Yahoo!ニュース個人 オーサーアワード2018 受賞スピーチの概要です。 https://news.yahoo.co.jp/byline/iderumi/20181227-00109168/

日本の労働生産性最下位は今回だけじゃない 1970年から50年近くG7(先進7カ国)でずーっと最下位

食品業界には、食品ロスを減らし、労働時間も減らしながら、売上げをキープしている優れた事例があります。記事でご紹介しました。

https://news.yahoo.co.jp/byline/iderumi/20181220-00108328/

食品ロスゼロで働き方改革!佰食屋の中村朱美さんが日経WOMANウーマン・オブ・ザ・イヤー2019受賞

食品ロスを出さない飲食店、京都の佰食屋の中村朱美さんが、日本経済新聞社 日経WOMANが主催するウーマン・オブ・ザ・イヤー2019の大賞を受賞されました!!2017年5月に取材してから、食品ロス削減と働き方改革を両立させる好事例として全国の講演や記事でご紹介してきました。中村さん、おめでとうございます!

食品ロスゼロで働き方改革!佰食屋の中村朱美さんが日経WOMANウーマン・オブ・ザ・イヤー2019受賞