文章って、こころから思っていることでないと、人のこころを動かさない。それどころか、軽々しく感じてしまう。
ある新聞のコラム。
「フードバンク(*)の活動が日本の社会に根づくことを願う」
という趣旨の言葉で結んであった。
(*フードバンク とは、まだ食べられるにも関わらず捨てられる運命にある食品(食品ロス)を食べ物に困っている人に配分する活動、もしくはその活動をおこなう団体)
書いた人は、本当に、本気でそう思っているのかな?
余っている食べ物を、捨てずに、困っている人につないで活用する。
おっしゃる通り、社会的に意義深い活動です。
私は食品メーカーを3.11支援を機に退職したあと
フードバンクの広報を3年間務めました。
今も食品ロスをテーマにした講演依頼を受けています。
食品メーカーにとって、食品は ”子ども” のような愛おしい存在です。
捨てるためにつくったものではありません。
だから、
理不尽な理由から発生する食品ロスは、できる限り減らしたい。
3.11支援のとき、食べ物が必要なところに届けられなかった。
「避難所の人数に足りないから」という理由で支援食料が配られなかった。
食べ物すら食べられない人、特に子どもは、できる限り減ってほしい。
でも、
実際にフードバンクの現場に入ってみれば、
たくさんの課題があります。
もちろん、全員が現場に入る必要はないと思います。
現場の人に生の声を聴けば(取材すれば)よい。
冒頭のコラムの執筆者は
フードバンクの意義や課題について
現場の人に聴いたことがあるのでしょうか。
自殺を考えていたが、炊き出しを食べて思いとどまった人。
フードバンクに助けられ、ボランティアに転じた人。
被災地支援の食べ物で「自分は一人じゃないんだ」と実感できた人。
一方、志高く活動していても、ぶつかる壁。
そういうものを
客観的に俯瞰的にみて
こころの底から
本気で願って
そう書いているのでしょうか。
(写真はトルコ・イスタンブールで撮影)
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