貧困が続くと日本の社会から内発的なテロが起こる 新幹線の事件を受けて

新幹線の事件。加害者の収入「月12万円」に対し、「少ない」「多い」など様々な意見が出ている。確かに充分とは言えないかもしれないが、客観的に見て、日本の「貧困線」より金額的には上である。

「貧困線」とは、日本人の可処分所得の中間値(まんなか)の、さらに半分の金額を指す。年収122万円。月に直すと「月10万円」。厚生労働省の相対的貧困率16.1%(2013年国民生活基礎調査の概要による)から考えると、日本人2000万人が「月10万円」より少ない金額で生活している。6人に1人が「貧困線」以下で暮らしていることになる。この新幹線の事件の人よりもっと少ない金額で生きている人が、日本の中に6人に1人の割合で存在する。
今年の5月1日に開催された池上彰氏と佐藤優氏の対談で、
佐藤氏が
「貧困が続くと日本の社会から内発的なテロが起こる」
「特にインテリから貧困が出てくると」
という趣旨のことをおっしゃっていた。
新幹線の事件は、まさにテロと言える。
あのような事件が二度と起きないため、警察とJRとは警備の強化を表明している。それも一策だが、本質的なところを見ると、貧困も大きく関与しているように思えてならない。今年の4月から生活困窮者自立支援法が制定され、困窮者支援の現場では、役所からの依頼も格段に増えている。だが、日本の中に「貧困」が存在していることをきちんと認識している人がどれだけいるだろうか。私はフードバンクの現場にいるとき、様々な貧困を見てきた。ライフライン(電気・ガス・水道)が止まってしまい、臨月の妻に食べ物が食べさせられないという20歳の男性、親からの貧困の連鎖により子どもが朝食もつくってもらえず、学校給食が唯一の食事で学校給食を食べるために小学校に行く小学生。ゴミタメのような家で、ご飯にゴキブリが炊き込まれても平気という家で暮らしている子ども。施設に母子で逃げてきたが、3歳の子どもを放置して、別の男性と仲良くなり逃げた女性。企業に嘘の電話をしてきて食品を奪おうとする男性。難民申請しても認可されないため仕事がもらえない外国籍の人たち。かつての夫からDVを受けて身体に障害が残り、働くことができなくなった女性。

前述の対談で、池上彰さんは「金持ちの人は、ホームレスが街にいても見えていない」「見てても見えない」とおっしゃっていた。貧困を放置することは、日本社会全体に影響を及ぼす。
この「物理的な貧困」「経済的な貧困」という問題に加えて思うのが「こころの貧困」である。自殺した人に対して憶測を言うのは簡単である。でも憶測している人は、実際に自殺しようとしたことがあるのだろうか。自殺しようとしてみないと憶測でものを言ってはいけない、というわけではもちろんないが、普通の精神状態の人が憶測できるような状況には当事者はない。私はかつて、うつ状態になったとき、そのような気持ちになったことがある。そういうときの言動と行動は、明らかに常軌を逸している。普通の精神状態ならまずやらないであろう「飛び降りる」「飛び込む」「切る」「火をつける」などということを衝動的にやろうとする。
そしてそんなときは必ず「感謝の気持ちを忘れている」。物理的・経済的に恵まれているか恵まれていないかは関係ない。「感謝の気持ちを持て」と言われても持てない精神状態にある。うつのときには、人と接することすら嫌な場合もある。今回の事件の加害者は、精神的に平常心ではなかった可能性もある。病院の診療を受けることもしていなかっただろう。
そして、「食べる」ことをしていなかった可能性もある。
精神的に異常をきたすと、食べることすらできなくなる。
物理的に満足いくだけ「食べる」。
身体とこころがきちんとはたらくための栄養素を摂れるように「食べる」。
人と一緒に「食べる」。
「食べる」は「生きる」の根幹である。
食べるだけで、気持ちが落ち着くことがある。
青森の「森のイスキア」の佐藤初女さんは
自殺しようとしている人におむすびを差し出し、
その当事者が自殺を思いとどまる、
という体験を何度もされてきた。
「もう死にたい」と思ったとき、
その人を想って握った1個のおむすびが差し出されていたら、
もしかしたら・・・

「貧困対策」は、お金や物を渡せばそれでOK。では決してない。「貧困」には、さまざまな要素が複雑に絡み合っている。教育の問題。住まいの問題。女性の問題。人間関係の問題。職が無い、という問題。

今回の事件を受けて、再発防止のために「新幹線の警備強化」をするのはもちろんなのだが、どうもそれだけでは表面的な対策に見えてならない。「便秘なの?じゃあ便秘薬飲みな」と言うような。「便秘」はあくまで表面にあらわれてきた症状であり、その水面下には、精神的なものが隠されているかもしれないし、朝食をとらないことかもしれないし、食物繊維をとっていないことかもしれないし、逆に食物繊維を摂り過ぎてはいけない疾病なのかもしれない。トイレが慣れない形態(和式・洋式)だからかもしれない。トイレに行けない状況だからかもしれない。問題を解決・防止するとき、表面的に見えているものだけを見ていては、本質が見えない。表面的に見えているものだけでなく、見えないものを観る力が必要と感じる。

相変わらず「年収の高い会社ランキング」など、経済的に恵まれたら「勝ち」という意識を煽るようなメディアの特集があるが、経済的な指標を幸せの指標と同化させるのは、そろそろやめにしたい。高い人が低い人にシェアする、助ける社会でありたい。高い人がより高みを目指すのは、収入においてではなく、知性と品性においてでありたい。

他人がつくったイベントに踊らされる前に

青年海外協力隊として赴任したフィリピン。
クリスチャンの方たちの、
クリスマスに対する思いは、
すさまじいものがあった。
9月からクリスマスの飾り付けが始まり、
街にはクリスマスソングが流れる。

いわゆる”ber”monthの4ヶ月間は、
ずーっとクリスマス。

September,
October,
November,
December.
銀行の窓口も、郵便局も、
みんなが心待ちにしているクリスマス。
クリスチャン人口が世界第3位のフィリピンならではの風潮である。

翻って、日本のクリスマスを考えると
本当に恥ずかしくなった。
クリスチャンの人ならともかく
クリスマスの本来の意味すらよくわかっていないのに、
世間で騒がしくなれば
ケーキを買い、
プレゼントを買う。
チキンなんて本来クリスマスに全く関係ないのに、
鶏肉を買う。
外国籍の何人もが、
日本人がクリスマスにチキンを食べるのだけは
おかしい、許せない、と言う。

バレンタインデーしかり、ホワイトデーしかり。
いくら受け取るチョコの数の多さを誇っても、
本命チョコでなければ
それはただ
たまたま職場で一緒の人から
もっと高い”お返し”を期待されただけかもしれない。

林修氏の著書「いつやるか?今でしょ!」に
「イベントに踊らされるな、日本人!」
というコラムがある。
林氏は、大学時代、イスラム圏からの留学生に
「日本のクリスマスをどう思う?」と聞いたところ
「日本人って、本当に幸せな民族だなとつくづく思う」という
答えが返ってきた経験がある。
それ以来、
クリスマスと距離を持つようになったという。
今の日本は、
売上を重視するコマーシャリズムが主導権を握り過ぎている、と言う。

でも、それを声高に言うと、
それで利益を得ている人たちは
快く思わないだろう。
そうであれば、
一人ひとりが、既存のイベントに踊らされ過ぎない意思を持つ必要がある。

林氏は
『母の日だから電話するのでなく、
毎日親孝行しているから、
母の日に大騒ぎしなくてもいいような日を送ることこそ
真のイベントだと僕は考えている』
と言う。
その通り。
一人ひとり、大切な「イベント」のタイミングは違うはず。
他人のつくったイベントとは適度な距離を置いてつきあい、
自分ならではの真の「イベント」を大切にしていきたい。

試練には必ず宝がある

今年9月、広島市内で開催された廃棄物資源循環学会。

ここで、フィリピンで実施したオクラのフードバンクについて発表しました。

合間に宮島へいったのですが、そのときの写真が出てきました。

そこに書いてあったのが「試練には必ず宝がある」。

まるで修士論文に四苦八苦している私へのメッセージのようです(笑)

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ナショナルジオグラフィック 90億人の食 「食べる」は喜び

ナショナルジオグラフィック 日本版

90億人の食 シリーズが、ついに最終回となりました。

今回の特集は「食べる」は喜び。

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おおいに共感するテーマです。

いま、食べる回数を減らすことを推奨する書籍が出てきています。

その人のライフスタイルや健康状態を保つのに合うのであれば、よいと思います。

でも、食べることが楽しみである人にとっては、楽しみの回数が、それだけ減るってことですね。

一日3回あるのに、一日1回に減ってしまう。

この特集では、世界のさまざまな「食」の風景の写真とともに、食の根源にあるものに迫っていきます。

最終回が掲載されている号、ぜひどうぞ!

こんな本を書きたい 「君の思いは必ず実現する」稲盛和夫著

いつかはこんな本を書いてみたいと願っています。

稲盛和夫さん著「君の思いは必ず実現する」

稲盛さんのような人ですら、志望していた大学にいけず、入った「オンボロ会社」では同期が次々と辞めていく、という経験に苦しんだことがある、と知ると、私なんてまだまだ・・・という思いになります。

私自身も、いじめやうつ状態になるという経験をし、いまは大学で講演を頼まれたとき、本来のテーマ(たとえば食品ロス削減)と並行して、自分自身のキャリアや来し方を話すことがあります。

そうすると、たとえば、浪人生活をコンプレックスや「回り道」と思っていた学生が、「あれも自分にとってのいい経験だった」と思えるようになった、という声を聞いたりします。

次に続いていく世代に自分の体験、それも成功体験ではなく、挫折や失敗体験を共有することで、彼らの学びになる。

人生は、スムーズに成功だけを繰り返していくことがいいことなのではなく、つまずいたとき、いかに這い上がるか、に価値があるのではないでしょうか。

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