「物」にこだわる震災支援

3.11から5年1か月経ちます。毎月11日、宮城県石巻市の女性へ携帯メールを送ってやり取りしています。病気を抱えていらっしゃること、お子さんが巣立って一人で暮らしていらっしゃることなどから、精神的に、いたたまれなくなる時期があるようです。
先日、つらそうな状況のメールが送られてきました。メッセージを送ったら、「すごく気持ちが楽になり、涙がとまりません」と返信がきました。

3.11の震災から5年以上経って、なお、そのような状況です。
熊本・大分の地震に対し、自分の経験から役に立つ情報を伝えたいという強い思いがあります。その一方で、妙に冷めた気持ちがあります。なぜ、皆、熱狂的に「物」を送ろうとするのだろう。(ここで言うのは大口便ではなく、小口便)

私も3.11のときには「物」に強いこだわりがありました。
その女性とは「物」を介しての繋がりでした。3.11が発生し、22万800食の支援物資を手配した翌月4月、「宮城県の避難所で栄養不足発生」との報道がありました。新たに23万9700食の自社製品を準備し、トラックに載せてもらって現地まで行き、積み降ろし、会社のTwitterアカウントで「石巻運動公園に卸しましたのでお使いください」と知らせました。そのとき「個人でももらえますか?」」とTwitterで連絡してくださったのがその女性です。

私が市に連絡したところ、「個人には渡さないので避難所まで直接取りに来てもらってください」とのこと。彼女にはペットがいたので、崩壊した個人宅で避難していました。その上、移動手段(車)がありませんでした。平成16年の市町村合併で、村や町が統合し、市全体の面積は膨れています。移動手段がない人や、健康状態が悪くて歩けない人は、離れている避難所や市の中心部まで行くことができません。結局、私がいろいろ集めて宅配便を送り、後日、ボランティア休暇をとって、彼女が必要だとおっしゃる物資(ミニ扇風機や、頭を冷やすための枕など)を直接、現地まで持っていきました。

3.11では「物」とくに「食べ物」が運べなかったこと、そこに大量にあるのに必要な人に届けられないもどかしさを感じました。また、ほんの少し避難所の人数に足りないというだけで放置され、だめになることへの理不尽さなどを感じました。そんなもろもろで会社を辞めました。

だから、「物」を運ぼう、送ろう、と一途に尽力する人や組織の気持ちが少しわかります。傍観者ではなく、身を挺して支援する人や組織。それを社会に知らしめたいと強く思ったからこそ、日本PR協会のPRアワードグランプリにNPOとして応募し、プレゼンテーションしました。14団体の応募の中、最優秀賞を受賞し、それを機に団体のことをすこし知っていただくこともできました。

ただ、継続的に被災地に通っていると、しばらく経つと、大量に不要な「物」が支援物資倉庫にたまっている現実を何度も見てきました。結局は、その自治体で「ゴミ」として処理しなければならない。当時、私がいたフードバンクへ、被災地から「これ、こちらでは使わないのでそちらで使いませんか?」との申し出があった食料品もありました。

冒頭の女性は、「物も嬉しかったけど、自分のことを忘れずにいてくれるということが嬉しかった」とおっしゃっています。
今は皆熱心ですが、数年経ってなお、熊本のことを思い続ける人は、はたしてどれほどいるのでしょう。そこまで気持ちを長く持ち続けられるのでしょうか。実際、3.11だって、「もう5年も経った」と忘れかけてた人は多いのではないでしょうか。

国や大きな組織には、一人ひとりの個人を観ることがとても難しい。でも、彼らは大きな力を持っています。大量の物資を運ぶ手段も持っている。

逆に個人は、大きな力はないけれど、一人ひとりに寄り添うことのできる細やかさを持っています。

短期的に送る「物」も大事だけれど、長期的に一人ひとりに寄り添う気持ち、それを長く持ち続けることも大事なのではないか、と感じています。

(物を送るのがだめだと言いたいのではなく、小口が大量に来すぎると、たくさんの人に過剰に負荷をかけ過ぎてしまうし、大量のゴミも出てしまうし、素人では判断つかない部分も多いので、そこは 大口 = 専門家や震災支援に長けたプロ集団  にゆだねる冷静な判断も必要では、ということです)

(写真は、2014年10月、熊本の東海大学で開催された日本広報学会研究発表大会に参加したときのもの。青年海外協力隊の同期の皆にも会いました)

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