死にたい気持ちからどう這い上がったのか

死にたい。
この世から消えてしまいたい。

青年海外協力隊としてフィリピンに2年近く滞在。
任期満了はあと数ヶ月、目前だった。

国際電話で、JICA(ジャイカ)の顧問医と話した。
そのあと、協力隊の調整員から言われた。
「明日、帰国するように」

荷物はそのまま置きっぱなし。
お世話になったフィリピンの人たちに挨拶することもなく
マニラから帰国した。
同じ任地にいた隊員二人が、
往復6時間もかかるマニラの空港まで送りに来てくれた。
涙がとまらなかった。
飛行機に乗ってからも、泣き続けていた。
なぜ、こうなるんだろう。
なぜ、こうなってしまったのだろう。

うつ状態になっていた。
自覚はなかった。
強いていえば、
二者択一で迷ったとき、
どちらに決めても後悔するような
優柔不断になっていた。

2年間という長い期間、頑張り過ぎたのか。
食生活で充分栄養素が摂れていなかったのか。
自分の成果をある人がもぎ取ったと思ってしまったのか。

帰国してからが地獄だった。
大好きなお寿司を食べても味がしない。
砂を嚼んでいるような味。
お世話になったフィリピンの人に手紙を書こうとしても、
思考が止まって一文字しか書けない。
やせ細って、何をする気もしない。
寝ようとしても、眠れない。
何をする気もしない。
しないどころか、生きているのもイヤ。

前の勤務先の人から
「なんで(何の目的で)行ってきたの?」
と言われると、
「ああ、行っても何にもならなかった・・・」
と思い、自分で自分を責めてしまう。
なんで、あと数ヶ月、がんばれなかったんだろう。
なんで、会社辞めちゃったんだろう。
なんで、なんで、なんで・・・・

帰国して五ヶ月間は空白だった。

その後、食べ物の仕事に就こうと思ったが
勤め口が無かった。
いろいろ探したあげく、
好きだった本の仕事を見つけた。
紀伊国屋書店の内勤の営業になった。
朝9時から午後3時までの契約社員。
伝票と向き合う、受注発注の仕事。
九段下。
毎朝、起きるのがおっくう。
職場へいくのが面倒。
人としゃべりたくない。

そして七ヶ月後。

「とらばーゆ」という求人雑誌で
「日本ケロッグ」という会社を見つけた。
求める人材として、
消費生活アドバイザーの資格保持者、
英検2級、
日本語の文章を書ける人、とあった。
すべて持っていた。
一次試験、二次試験、合格して
晴れて社員となることが決まった。

それと並行し、
誰とも会いたくない中で
わざわざ、実家近くの最寄り駅まで
会いに来てくれた人がいた。

前と変わらないで接してくれる。
その態度が、傷心に沁みた。

思えば「感謝」を忘れていた。
自分の「無い」ものばかりに注目していた。
味覚が無い。
やる気が無い。
書く力が無い。
人と会いたくない。
・・無い、無い、無い。

でも、
振り返ってみれば
こうして、前と変わらず
自分と会ってくれる人がいる。
誰もいないわけじゃない。
一人でもいれば、いいじゃないか。
ありがたい。
有難い。

「どうやって、うつ状態から
立ち直ったのですか?」と
よく聞かれる。

人には波がある。
人生、いいときばかりじゃない。
悪いときもある。
その悪いとき、
自分がどれだけ這い上がろうと努力できるか。
どれだけ「無いもの」ではなく「あるもの」に感謝できるか。
そして、
そんなときでも
自分を見てくれている人がいる。

あの、つらかったどん底のとき
会いに来てくれた人。

いまの伴侶である。

(おわり)

上記は
ひきたよしあきさんの著書
『あなたは「言葉」でできている ビジネスコミュニケーションが劇的にアップする“自己表現”のヒント』を読み、
自分のエピソードを探してノートに書いてみる、
というのにならって書いたものです。

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