日航機墜落事故から30年

日航機墜落事故の報道を見ていて
初めて気づいたことがある。
この年は、
父が亡くなった年だった。
そうか。
あれから30年経つんだ。

生存者の一人
川上慶子さんのお兄さん
千春さん(当時14)は、
事故後、高校不登校になり
困っている人を助けたい思いから
介護士になられた。

川上慶子さんも
学校卒業後は看護師になり
阪神大震災のときには
被災した方々の支援をしたという。

今回、お兄さんが
取材を受けた理由について
「事故や災害でご家族を亡くした方にとって、
何か手がかりとなるものを提供できればという思い」
と語っておられた。

ご自身も、
これまで大変なご苦労を積まれたであろうに、
どこまでも弱い立場の人の気持ちに寄り添い
何か役に立てればという思いを抱いて
行動しておられることに
心を動かされた。
手帳に書き留めている言葉
「人は肩書きより生きざま」
を思い起こした。

(写真:父とわたし)

Attached photo is my deceased father and me
He passed away in 1985
– Incident in 1985
The Japan Airlines Flight 123 (JAL 123) Disaster on August 12th
The crash site was on Osutaka Ridge, near Mount Osutaka, all 15 crew members and 505 of the 509 passengers on board died

http://bit.ly/1gBJO4g

Iderumi_Father_Kesyo

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