「一億総活躍」について

自分の挫折体験を人にさらすのって恥ずかしいこと。人によっては「よく(恥ずかしげもなく)公開してますよね」っておっしゃったりします。ではなぜ公開するかといえば、自分も先人の経営者の挫折や失敗体験を知り、前へ進む力をもらったから。稲盛和夫さんの著書は何冊も読み、彼の受験の失敗談や、就職したての頃のうまくいかなかった体験を知りました。稲盛さんには遠く及ばなくとも、つたない自分の体験を共有することで、ほかの誰かや次の世代に役立つかもしれない。

順風満帆だけの人生はないと思う。だから、いまこの瞬間、日本全体を輪切り??にしてみたら、上手くいってる人もいれば、壁にぶちあたっている人もいて、いろんな人生経験をしている人が多種多様に存在しているはず。

「活躍」を辞書で引くと「めざましく活動すること」とある。でも、いつもめざましく活動なんてできないよね。内向的な小学生時代、学生時代に父が若くして他界して母子家庭になったこと、挫折して、もう生きていたくなんてない、と思った時のことを今でもずーっと覚えてる。そのときを過ごしたからこそ、這い上がるバネ、、、レジリエンス力を得たようにも思う。

又吉直樹さんの「活躍」も、長い長い、いわば(はたから見たら)「活躍できない」時代を彼が過ごしてきたからだと思う。その時期に、たくさんの読書をしてきた、それが書く力を蓄積されてきた。彼は、はたから見たら「活躍」とは言えないその時代のことを、決して無駄だなんて思っていない(と撮影でお会いしてお話して感じました)。

社会的弱者の立場を経験すると(たとえしなくても、その立場を察すれば)、いつもいつでも「活躍」してるなんて不可能だし、そんな必要ないんじゃないかなあ、って感じます。

<戯作(げさく)者 松崎菊也さんの言葉>
*「総活躍」という言葉はとても雑
*頑張りたくても頑張れない人もいる。個性や価値観はそれぞれなのに「総活躍」というのは十把一絡げ。発想が安易で押し付けがましい
(朝日新聞 2015.10.8付)

  

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