What is the objective of your job?
ここ数日、自分の仕事の意味について考え続けています。
答えは出ていません。
Facebookで繋がっている何人かの方に言われたのが
「(井出さんは)素直に感情を表現できるからいいですね」
ということでした。
仕事上の利害関係者が自分の投稿を見ている手前、
表面的な話で済ませたり
自分は書かずに誰かのを読むだけだったり
素の自分ではない何者かを演じたり
ということも多いのかもしれません。
大学院の修士論文のアンケートをお願いしたとき
省庁・都道府県庁など行政の方は率直に回答してくれた一方、
企業の方は、ほぼ全員が
「これは個人としての回答であり、
企業として必要なら直属上司に確認します」
と答えたのが印象的でした。
私も企業の広報を担当しているとき、
自分の発言イコール組織の発言になってしまうのを危惧し、
インターネット上では
出来る限り検索されないよう、
自分を「閉じて」生きていました。
私の父は、
銀行の支店長になった途端に
40代で亡くなってしまったので
「組織人としての自分」はゴールを達成できたとしても
「個人としての自分」は思う存分に生きられなかったのではないか
そんな思いがあります。
いま関わっている「食品ロス」の世界では、
個人としての自分は「もったいない」と思っているのに
組織人としての自分は「もったいない」気持ちを覆い
大量に棄てる、
「自分」と「そうでない自分」とが乖離している人が多いのを感じてきました。
もしかして、
私は食品ロスを減らしたいというより
それを通して
「素の自分として生きる」
人を増やしたいと思っているのかもしれません。
世の中を見ていても
自分でない自分を演じている人がいるのを感じます。
よしもとばななさんの著書「人生のこつあれこれ2013」に、
自分が自分として生きることの大切さが書かれていました。
村上龍さんの「歌うクジラ」の文も引用されていて、
『別の人間になることだけは絶対にいやだった。』
『他の人間になった自分をどうやって憎めばいいというのだろうか』
とありました。
ジョン・キムさんの著書「媚びない人生」では
『多くの人は、自分から権威(上司など)を見つけ出し、その権威に対し、
従順な自分を自ら演じて、その従順さを権威にプレゼントし続けることに一生懸命になる』
という“羊社員” の存在を指摘しています。
自分の命を
閉じたまま生きたのでは
もったいない。
仕事をする意味は、
素の自分で生きる、
命を授かった自分を活かすことにより、
自分もまわりも社会も
いまより良くなっていく
ことにあるのではないでしょうか。
自分でない誰かを演じ続けていて
それができるわけではないように思うのです。