書籍「媚びない人生」の著者、ジョン・キムさんが、新著を出版なさいました。
「断言しよう、人生は変えられるのだ。」
早速、最後まで読みました。
ジョン・キムさんの著書は、何度も繰り返し読むだけの価値があります。
読むたびに新たな発見があり、咀嚼しながら何度も読むことのできる内容が詰まっています。
哲学書を読んでいるような気持ちになれます。
印象に残ったことが3点ありました。
ひとつめは、人とのつきあい方。
『弱い人間ほど、敵が欲しくなる』という言葉にはドキッとしました。
『議論するに値しない人とはぶつからない』というのも、なるほど、と思いました。
『敵対する人があらわれたら、相手の幸せを祈り、ただし自分の人生とは関わらないで欲しいと遠ざける』という趣旨も、本当にその通りと思います。
以前、ある方が『敬して遠ざける』とおっしゃっていて、それと同じものを感じました。
ただ、すこし疑問に思ったのは、何人かの人は、自分に近い距離に、そういう、関わらざるを得ない人がいるのではないか、そういう場合はどうしたらいいか、ということです。
たとえば配偶者や友人は自分の意志で選ぶことができたとしても、勤務先の直属の上司は、多くの場合、選ぶことができません。
もし、直属の上司が「議論するに値しない人」だったら・・・・?
「敵対してくる人」だったら・・・・・?
自分の意志では避け難い人がそういうタイプだったら、どうしたらよいのだろう。
そして、印象に残った2つめ。
『先人の築いた頂上を1センチ更新するつもりで本を読む』という言葉。
たった1センチであっても、それは確実に、自分が更新した実績につながります。
相手の書いたことを理解するだけに終わらせず、自分が返していく、与えていく、という気持ちを常に持つということ。
ある大学教授が、「研究というのは、薄〜い、一枚の紙を、積み重ねることだ」という趣旨のことをおっしゃっていました。
私自身は、1センチというのはとても高い目標に思えて、一枚の紙(ティッシュペーパーのような薄い薄い紙)を積み重ねる、という言葉がしっくりと来ます。
印象に残った3つめ。
引用されていたフランソワーズ・サガンの言葉。
『知性というものを持つ人は、多元的に物事を考えることができる人だ』
池上彰さんの著書に「教養とは多様性を育むこと」という趣旨の言葉がありました。
いま、NPOとして関わっている活動は、全国に広がっています。その中で思うのは「多様性が認められる社会になってほしい」ということです。
また、大学院での研究テーマ「NPO活動の評価基準の開発」ということを通しても、多様性 というのが私の最近の思考の中にあるキーワードです。
ここで、私なりに、ジョン・キムさんの著書「断言しよう、人生は変えられるのだ。」の印象に残った部分と、自分なりの解釈を加えてまとめてみると、
1、議論は、議論するに値する人とし、そうでない人に対しては、相手の幸せを祈り、「敬して遠ざける」
2、先人の築いてきたものに対して、自分はティッシュペーパー 一枚ぐらいでも、新たなものを積み重ね、社会に対して「お返し」をしていくこと
3、知性と教養を持つ人は、多元的に、多面的に物事を観ることができる人であり、多様性を認められる人である
です。
稚拙な内容ですが、これからまた繰り返し読み、咀嚼することで、理解を深め、本を通してジョンさんとの対話を続けていきたいと考えています。