佐藤可士和さんの奥様、佐藤悦子さんとやり取りさせて頂いたことがある。
前職で扱っていた製品をお召し上がり頂いていた、ということがわかって、当時、企業の一人広報だった私が手書きの手紙と製品をお送りしたところ、御礼のメールを頂いたのがきっかけだった。
彼女が書籍か雑誌かでおっしゃっていた内容が印象に残った。
『自分はPRのプロフェッショナルではないと思う。対象が何でもかんでも構わずできるわけではないから。自分が、心からこれは良い、伝えたいと思ったことを一生懸命伝えることはできる』
という趣旨の内容だった。
確かに、自分も前職の何が気に入っていたかというと「栄養豊かな食品で世界の人々を健康に」という企業理念だった。
いくら食べ物の会社でも、企業理念や扱っている商品が自分の気に入らないものだと、仕事をしたいとは思えなかった。
江上剛さん。
企業広報のメンバーで構成する企業広報研究会がやむなく活動停止となるとき、我々企業広報のメンバー宛にメッセージをくださった。
『広報は、本当に深い仕事だと思います。一言で言えば、組織内における第三者の目であるといえるでしょう』その後に書かれていた言葉も心から共感した。『第三者の目を持つことは、非常な困難と孤独を伴います。組織の論理に流されていれば、たいていのことはまずまずのレベルで済んでしまうからです。第三者の目を持ったために(中略)抵抗され、挫折することもたびたびです』
長いものに巻かれよ、というタイプは、広報に向いていないと思う。
横山秀夫さん。
月刊「広報会議」2014年1月号の34〜35ページのインタビューに、うんうんとうなずかされる言葉が多い。
『一般的に上手な仕掛けと思われるものほど見ていて送り手に対する不信感が募る』
『仕掛けた人による“お祭り騒ぎ”を見せられているような気持ちになる』
『(小手先広報は)消費者によって見透かされている』
『“策士”みたいな人が最も広報に向いていない』
『目先の評判や利益を求めるのではなく、しっかり構築したものを広報する姿勢でないと、もはや信頼されない』
広報に対する三者三様の考え方。共通するのは真摯で客観的な姿勢。
→1、広報とは、惚れたもの、心から良いと思ったものを伝えること
→2、広報とは、組織における第三者の目
→3、広報は、組織にもの申す覚悟を持つ人
広報は、ノウハウより、生きざま、人間性が求められる仕事ではないか。