東京大学大学院日記(21)

2013年5月11日(土曜)、エグゼクティブプログラム。

テーマは「東大医学部の歴史にみる日本の近代史」。

先生は、自治医科大学学長の永井良三先生。

これまでのEP(エグゼクティブ・プログラム)の中で最も面白かった。

医学にとどまらず、本質的なことを教えてもらった。

以下、先生の言葉。

「日本には、物のデータはあるが、人の営みに関するデータがない。その部分が非常に弱い。経験と勘でこなしている。偶然性を制御し、ばらつきを乗り越えて意義があるかどうかという研究やビジネスが弱い。ばらつきは本質的である、ということを教育で教えて欲しい。きれいにいかないがために挫折していく研究者や学生が多い。理論通りいかない部分が多い。」

私が感じたこと。

日本の製造業がグローバルの中で弱くなってきているのは、そのせい(前述)ではないか。物の品質を改善し、品質が向上すればするほど売上が上がるというものではない。たとえば太陽電池などは、当初、日本が世界の中でリードしていたが、海外では世界各国から技術者を集め、100%の完成度を求める日本とは異なり、だいたいの品質まで高めた時点で発売しては改良することを繰り返し、日本を追い抜いてしまった。物の品質だけでなく、人が使ってどうなのかを見ないとだめなのだと思う。

食品の安全性でみても、日本はゼロリスクを求める。食品には、物理的・化学的リスクは存在するのが当然であり、ゼロリスクはあり得ない。安全性に完璧さを求めることで、逆効果もある。

スタンフォード大学のジョンクランボルツ博士の提唱する「計画された偶然性理論」がある。人生は、偶然やハプニングがつきもので、それをチャンスととらえ、キャリアを重ねていくことで自分らしいキャリア形成ができていくという考え方である。先生のおっしゃった「ばらつきこそ本質である」ということも、この計画された偶然性理論に共通する要素があると感じた。

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