社会人が大学院へ通うことの意義

社会人が大学院の修士課程に入学してすぐの4月は、最も忙しく、最も大変な時期の一つである。

そのことは、前職で通っていた女子栄養大学大学院での体験から、ある程度、予測はついていた。

が、実際に大学院生活が始まってみると、予想以上に大変である。

必修科目が平日の昼間にある。

普通の会社員なら、まず、講義に参加することが不可能な時間である。

なぜなら、コアタイムというのがあり、たとえば10時〜15時までは業務に従事しなければならない規則があるためである。

また、たとえ参加できたとしても、講義に参加することで仕事がマイナスになった時間分、帳尻をあわせなければならない。

講義はレポートを毎回提出しなければならない。

などなど・・・

ただ、そのような大変さを持ってしても、あまりあるメリットが、社会人大学院にはある。

学生のときよりも、学ぶことに対する目的や意識が明確になりやすい。

仕事をすると、自分に不足していることが明らかになってくる。

仕事で報酬を得る以上、きちんとした成果やサービスを提供しなければならない。

自分の能力や技術不足によって、それが提供できない場合、自らインプットする必要があるのは明らかである。

また、仕事とは違う、人とのネットワークを築くことができ、それは廻り回って仕事にも反映してくる。

私の場合、女子栄養大学大学院時代に培った、学長や副学長はじめ、教授の先生方や教務の方とのネットワークは、2006年に博士後期課程修了してから7年経つ今も続いている。

これは、お金を払って購入することはできない。

また、仕事をしながら学業を続けることは、なみなみならぬ精神力や体力を要する。

渦中にあるときは本当に大変だが、これを乗り越えたときの充実感、達成感たるや、経験した方ならわかるだろう。

このように、社会人になってから大学や大学院へ通うことは、さまざまな意義がある。

単に損得ではなく、学びたいという意欲が自分の中から沸き上がってきたら、それはその人にとっての学びの時期が来たのだと思う。

自らの意志で通うのが一番いいが、きっかけがそうでなかったとしても、やはり通うことは意味がある。

欧米の社会人の大学院進学率が20%という反面、日本は2%しかないという。

社会にとっての損失であり、個人にとっても、機会損失である。

多くの方が、仕事をしながら学ぶことの楽しさを知って欲しい。

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