当たり前の日常が奇跡なんだよ。

大げさかもしれないけど、Facebookの投稿って遺書みたいなものだと思う。

社会人大学院時代にお世話になった女性研究者が、海外渡航中に交通事故で亡くなった、と。

先週、島根での講演に行く飛行機の中で知りました。

気づいたら、英語や日本語のニュースで既に多数報道されていました。

もう、彼女は投稿することが叶わない。これまでの投稿はすべてこの世に「書き残したこと」。彼女が亡くなった瞬間、「日常の投稿」は「遺書」に変わってしまった。

大きな車輛にひかれた瞬間、どんなにか痛かっただろう。喪主を務めたお父様は、子を喪い、どれほど悲しかったろう。いろんな思いが頭をかけ巡り、ここ一週間、にぶい鐘の音・・ゴワンゴワンゴワン・・・という音が頭の中で鳴り続け、じわじわしたボディブローのような衝撃を受けています。

普段、気軽に書いている内容は、なにも決死の覚悟で書いているわけじゃあない。でも、ある意味「自分の持ち時間 = 命」を削って書いている。

あとどれくらい生きていられるかはわからないけれど、命ある間に、自分は何を書き残せるだろう。

『当たり前の日常が奇跡なんだよ。』(故 井上ひさし氏)

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