46で亡くなった父は、
甲子園で王貞治選手と対戦したことを
いつも自慢していた。
リリーフだったらしいが。
家の箪笥には
王貞治さんのサイン色紙が飾られていた。
当時の新聞記事もよく見せられた。
My deceased father and Sadaharu Oh pitched against each other in the national high school baseball championship - around 60 years ago
小さい頃、運動と体育の授業が大嫌いだった。
父とキャッチボールをやらされては
「下手くそ!」と怒鳴られた。
50m走ればタイム10秒以上かかる。
跳び箱飛べば飛び越せずに上に乗る。
ドッジボールやれば当てられる。
そんな運動音痴の私が
父の故郷である久留米で
福岡県立明善高等学校のバドミントン部に入った。
入学1ヶ月後にまた父の転勤。
せっかく高校受験に合格したのに・・・
1年後に編入試験を受け
千葉県立薬園台高等学校へ編入。
内向的なので、
新しい場所になじむのが苦手なのに加え、
思春期の4年間を九州で過ごしていたので
関東の空気にとまどった。
中学でやっていたブラスバンド部にも入らず
高校でやっていたバドミントン部にも入らず
帰宅部となった。
高校の部活を途中で断念したことを悔いた。
大学では何か続けよう。
奈良女子大学に入学。
いろいろ迷ったあげく、
うんち(運動音痴)の私が
体育会の硬式庭球部に入った。
毎週5日間、月木以外、
火・水・金・土・日が練習日。
真っ黒になった。
髪は日焼けで茶髪になり
地肌まで焼けた。
それだけやっても
高校からテニスをやってきた仲間には到底かなわない。
ネットの前に出ていってボレーする瞬発力もない。
ジャッジミスをして先輩には怒鳴られる。
でもそのうち
瞬発力はなくても
持久力があることに気づいた。
ストロークでつなげば
相手が失敗するまで粘り強く返す「壁」になった。
シングルスをやれば
7-6
6-7
7-6
で勝つ。
ボレーの強い選手と組めば
自分のデメリットが補われ
自分のメリットが発揮されれば
最強のペアになる。
テニスって面白い。
何でも万能にこなすナンバー1とナンバー2が組んだペアが
ボレーだけが強いナンバー3とストロークが強いナンバー4のペアに負けたりする。
大学を卒業し、
最初の就職先を辞め、
青年海外協力隊に参加した。
訓練所での3ヶ月の訓練中
「10kmマラソン」というのがあった。
訓練生は約200名。
そこで
女子で2位になった。
1位は体育隊員(体育を専門分野とする隊員)。
タイムは10km50分。
50m走れば10秒かかる運動音痴の私も
10km走れば50分のタイムを出せる。
瞬発力がなくても
持久力がある。
コンプレックスを恥じなくてもいいんだ。
自分にないものを人が持ってるからといって
うらやんだりねたんだりしなくていいんだ。
その代わりになるものを自分の中に見出せばいい。
代わりがなければ今から生み出せばいい。
自分のコンプレックスに出逢うたび、
父とのキャッチボールを思い出す。
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