日本広報学会の理事会に出席しました。2年間の任期中、学会誌委員会に所属しました。お忙しい中、査読を引き受けて頂いた方には感謝申し上げます。論文を査読する査読者側には立ったことがありましたが、逆に査読者を選ぶ側、査読者の査読そのものをレビューする側に立つ経験は今回初めてでした。
最も良かったのは、学会誌委員会が多種多様なバックグラウンドを持つ委員で構成されていたことです。私のように外資系企業とNPOでの広報経験者、大学のコミュニケーション学の教授、行政(県庁)の広報、メーカーの広報、英語の堪能な方など。属性が同じような人たちで群れるのではなく、行政・企業・大学など様々な組織が対等な立場で議論できる環境が理想と考えているので、あのメンバー構成は良かったです。
また、その様々な多様性を活かし、すべての論文に担当を割り振り、各委員が自分の得意分野で論文を複数担当したこともよかったです。査読者に丸投げでまかせっきり、ではなく、委員自身も論文を読み込み、自分なりの判断基準を持った上で査読者のレビューにも目を通す。
写真は13刷まで販売されている書籍「自分で調べる技術」。この中に「マスコミのせいにしないということ」という項があります。
著者は、マスコミに過剰な期待を持つことを戒めています。
「もっとこんな点を斬り込んで欲しかった、ああすればよかった」など。
最近、マスコミを十把一絡げにして批判する風潮を感じます。
テレビの取材や撮影を100回以上受けてくる中で、もちろん、これはなあ・・という取材もありました。
約束の時間から1時間以上遅れ、朝やってきたと思ったら酒の臭いをぷんぷんさせて、「企画無くなりました」とお詫びに来たメディアもありました。
最初からストーリーをつくってしまい、それに話を無理矢理あてはめる、明らかに事実と異なる報道をする、約束では撮影しないといっていたネガティブな映像を本番で流す、「とにかく絵(映像)だけ撮って即帰って夕方すぐのニュースで報道」と、気もそぞろ、目も泳いでいる・・・など、いろんな方がいらっしゃいました。
でもその反面で、取材や撮影が終わってもなお、何年経っても、立場が変わっても、おつきあいが続いているメディアの方もいらっしゃいます。
企業広報とNPOの広報、あわせて17年の実務経験を総体的に見てみると、すなわち研究で言うところの「メタ・アナリシス」(=多くの研究を総体的に俯瞰して判断し分析する)をしてみると、取材していただけたのはメリットのほうが大きかったと感じます。
一方的にマスコミを批判しているのをみると、「じゃあ、あんたが自分でやってみなよ」と言いたくなります。
多様性をはらむものをひとからげにして断定するのは知性のない証拠、とどこかで読んだことがあります。
「マスコミ」
「男」
「女」
「役所」
などなど・・・
マスコミだって、一人の人間です。
どんな組織にだって、真摯に仕事に取り組む人もいればそうでない人もいる。
「こういう傾向がある」ということは言えると思いますが、すべてがそうだと断定するのは控えたい。
メディアの場合、取材対象が幅広く、すべての分野に精通しているわけではない、その中で、限られた時間内に学んで情報をまとめて報道する。
本当に大変な仕事です。
常見陽平さんのインタビューにもある通り、「広報と広告は違う」ということを、組織内に理解してもらう。
理解してもらうのは、現実にはとても難しいです。
でも、その努力をする。
http://blog.pr-table.com/interview/tsunemi_yohei/
コメントを投稿するにはログインしてください。