2014年11月11日 ー 東日本大震災の月命日に

「もう、食べ物は足りてます」

2011年3月11日に発生した
東日本大震災からおよそ10日あまり経った日のこと、
首相官邸に電話したとき電話に出た男性が答えた。

思えば、あの一言が、
14年半勤めた会社を辞める引き金だったかもしれない。

こころの中で言い返した。
(足りてないだろ!)

いや、
言い返す気力すら失った
というほうが正確かもしれない。

確かに、食べ物は、
あるところには莫大にあった。
ただ、その食べ物が、
あのとき本当に必要としている人には届いていなかった。

一つのおにぎりを4人で分け合っている話。
一日の食べ物がソーセージしかない、という話。
被災地の現場からは、
食べ物が無い現状がひしひしと伝わってきていた。

この男性は、
被災地の現場の実情を把握していないのだろう。

首相官邸というマネジメント機能を持つ場所にいる人間が
災害の渦中にあるとき
自分自身でわざわざ被災地に出向く必要などない。
だが
たとえ遠隔地にいても、
現場の状況を把握し
適切な指示を出すことは必要ではないか。

3月11日。
誕生日に、あの震災は起きた。
翌週から、農林水産省の方とやり取りして
勤務先の支援物資として
自社製品である食品22万800食を
被災地に届けるべく
運ぶ場所と手段を探していた。

ガソリンがない、
トラック業者が受け付けてくれない、
保管場所がすべて満杯。

1日経っても2日経っても
運ぶことができない。

そうこうするうち
海外の支社からも支援物資の食品を
送りたいという申し出が相次いだ。
オーストラリア、韓国、タイ・・・
オーストラリアは、
食品ごとに荷姿や詳しい情報をまとめた
エクセルファイルを送ってくれた。

農林水産省の担当者に聞いたところ
「それ(海外の件)は首相官邸に聞いてください」

首相官邸に電話すると
「厚生労働省に電話してください」

厚生労働省に電話すると
「検疫所に電話してください」

検疫所に電話すると
「税関に電話してください」

税関に電話すると
「港によって管轄が違います。
どこの港ですか?」

・・・・
知るか!

仕方がない。
海外の支援物資はいったん置いておいて
まずは国内の物資を運ばなくては。

震災の起こった次の週末は3月19日から三連休。
その間にも
農林水産省の方とやり取りし
とうとう東京の福生にある
米軍横田基地に運ぶことができるという知らせがきた。
工場長に連絡し、
10トントラック2台で22万800食を陸路で運び
そこからヘリコプターで
岩手県花巻市、宮城県仙台市へと運んだ。

2014年3月22日。

もう一度、首相官邸に電話した。
「もう、食べ物は足りてます」
「(被災地の人は)みんな国産がいいと言っています」

震災から10日あまり。
もう、動く人は動いていた。
行動する人は、自分の置かれた立場で
行動していた。
担当してくれていた農林水産省はもちろん、
自衛隊、NPO、企業、学校、寺・・・

人は、危機に際すると、本音がみえる。
人だけではない。
組織も、危機的な状況にさらされると
その組織の本性があばかれる。

あのような未曾有の大震災に際し、
現場にいきたいと強く思ったし、
自分は「行動する人」でありたいと思った。
迷ったあげく、辞めた。
いまの安倍政権なら
「女性の活躍」と賞賛するであろう
管理職のポジションを捨てた。

もしかして、
あの選択は
間違いだったのだろうか。

人生は、選択の機会に満ちあふれている。

自分の意志で選択することもある。

自分の意志に関係なく
選択せざるを得ない状況に突然置かれることもある。

選択のたびに

迷う。

悩む。

後悔する。

でも、
たとえネガティブにみえることでも
それを
まったく正反対にひっくり返すことはできる。

人生の選択に間違いは無い。
自分自身で、
その選択を
自分にとっての「正解」に創っていくのだ。

(写真は2011年4月、震災から1ヶ月経ち、宮城県の避難所で栄養不足が発生していると聞き、会社で二度目の支援物資となる23万9700食のほとんどをトラックに載せて運び、宮城県石巻市の石巻専修大学に設置された倉庫へおろしているところ)

このコラムは、ひきたよしあきさん著『あなたは「言葉」でできている』のエピソードノートを参考にし、自分のエピソードを思い出して書いたものです。

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