広報は組織における第三者の目

【広報は組織における第三者の目】理事を務める日本広報学会の研究発表大会で熊本へ行きます。広報イコールメディア露出でしょ。という見方をされがちですが、広報は組織における第三者の目でもあると考えています。だからこそ、広報は経営者の視点を持ち、強い精神力を持つ人でないと務まらないと思います。その会社なり組織の論理に流され、上司に対し、なんでもかんでも「イエスマン」で通しておけば、とりあえず仕事しておけば、一定の給料はもらえます。でもそうではなく、その組織の論理が社会からみておかしければ指摘すべきだし、逆に組織に埋もれている「宝」があれば、それを引き出して磨いて社会に見せてあげる。広告はBuy me(私を買ってください)広報はLove me(私を好きになってください)とは、古い広報の書籍に書いてあった言葉です。多くの経営者は広報を広告と勘違いしています。広報やっても売上あがらないでしょ、と。広報は、直接的に売上に繋げるものではなく、組織を理解し好感を持ってもらい、信頼を持ってもらうものです。それがひいては売上に繋がる場合もあります。

広報を務めてきたセカンドハーベスト・ジャパンの第七回フードバンクシンポジウムが15日開催されました。今年の2月にプログラムの企画を立てて以降の半年間、コツコツとブラッシュアップしてきました。当日、私は出席しませんでしたが、スタッフやインターン、ボランティアの方々が尽力し、素晴らしいものに仕上げてくれました。参加者の多くの人が写真を撮り、喜んでおられる様子を見て嬉しく思いました。フードバンク団体、企業、省庁、議員、社会福祉法人、施設、タレント、様々な立場の方に講演を依頼し、登壇して頂きました。登壇者の方有難うございました。北から南まで、お忙しい中、全国から集まって頂きました。ありがとうございました。スタッフの話では、アンケートでも大変好評で、ネガティブな意見は一つもなかったそうです。企画を練ってきて本当に良かったと感じました。当日、何人かの方が「井出さんは?」と、私のことを探していたと伺いました。会場に居なくてごめんなさい。

一方で、この成功と引き換えに、自分の命をすり減らしたな、とも感じました。すり減らさないで済んだはずのところで精神力も体力も消耗しました。仕事って、命を縮めてまでやるものなのかな?銀行員だった父が46で他界して以降、それは違うと考えています。仕事は、人を幸せにするものでもあり、自分が幸せになるものでもあります。体は一つしかないし、心身の健康に代わるものはないから、仕事が多過ぎてパンクしていたら、心身の健康を保つためにも調整すべきです。そうしないと、広報として、あるいは経営者として、組織における第三者の目を保つことはできないでしょう。第三者の目を持つことは困難であり、非常なエネルギーと精神力を要するからです。

佐藤悦子さん(佐藤可士和さんの奥さん)が、「自分はPublic Relationsのプロではない。自分はただ、これはいい!人に伝えたい!と思うものを勧めているだけ。PRのプロなら自分の好きでないものも伝えることができるのかもしれないが、自分は、それはできない」という趣旨のことをおっしゃっていました。私も共感する部分がありました。本心から好きな対象であるからこそ、Public Relationsに関わり続けることができるのだと思います。そんなことを考えながら、熊本へ行ってきます。

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