若草きんとん型抜き事件

NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で、本田圭佑選手の子ども時代のエピソードが紹介されていた。
小学校4年生のとき、中学生だった兄のサッカー部に自ら飛び込んでいって、泣かされながらもサッカーをしていた、と。

第二回「日経ソーシャルイニシアチブ大賞」で大賞を受賞された曽根原久司さんの本を読んでいたところ、曽根原さんの子ども時代のエピソードが書かれていた。
子どもの頃からどんな問題でもどう考えていけばいいのか、答えを導き出すのが得意で、親戚にトラブルが起きると「久司を呼んでこい」ということになり、周りが感情的になると冷静になる子どもだった、と。

自分がもし、子ども時代のエピソードを紹介されるとすれば、何だろう。
5歳の頃、くず湯を作る過程で液体からゲルに変化していくのに興味を持っていたこと。
画用紙と青いボールペンを使って喫茶店のメニューを作っていたこと。
母親の持っていた「家庭の料理」という書籍を読み込んでいたこと。
ハウス食品のプリンとゼリーのレシピ冊子をボロボロになるまで読んでいたこと・・・などだろうか。

ふと、小学校5年生のとき、料理クラブに入っていたときのことを思い出した。毎週、いろんな料理やお菓子をつくっていく、という活動で、あるとき、次の週は「若草きんとん」をつくることになった。
どんな工程できんとんを作りあげていくのか、若草色をどうやってつけるのか、楽しみにしていた。

そして、当日。
さつま芋が出てくると思ったら、すでに「若草きんとん」は先生の手によって作られ、ボウルに入っていた。
我々子どもたちは、ただ、先生の手によって作られたきんとんを、型に入れて抜くだけだった。
おおいに失望した。
「もう、こんなつまらないことしかさせてもらえない料理クラブなら辞めてやる」と、翌年から手芸クラブに入ったのを記憶している。

あのときガッカリしたのは、自分の手でさつま芋をむいて、切って、茹でて、つぶして、漉して、色をつけて・・・という一連の作業をさせてもらえなかったことにある。
と同時に、先生が、子どもたち自身に体験させてあげよう、大変でも、チャレンジして楽しませてあげよう・・・というサービス精神(おもてなしの気持ち?)がなかったことに対して、でもあるかもしれない。

ひるがえって、今の自分の仕事を考えると、型からはみ出ること、人のやっていないことをしたがる。型にはまったルーティンではなく、融通をきかせる姿勢を好むし、同じ仕事をするならサービス精神を発揮したいと考える。

誰もが、子どもの頃、今の姿の片鱗をちらとでも見せていたのかもしれない。

子どもの頃のエピソードに、これからの自分のキャリアを磨いていくヒントがある、かもしれない。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください