派閥について

小さい頃から、親の転勤について、北海道から九州まで転々と暮らしました。小学校3つめのとき、リーダー役の女子とその仲間たちが一丸となり、言葉が違うという理由でいじめを受けました。転校転校また転校。教科書も遊び方も食べ物も気候も言葉も制服も全部違う。人と違って当たり前の世界で生きてきました。今でも派閥を組むこと、徒党を組むこと、そういう世界に身を置くことが好きではありません。対決することに時間(=命)を使うくらいなら自分のやることに邁進したい。いろんな種類の組織からいろんな人が集まる場を創ることができると充実感を覚えます。人と違って当たり前なのに「同じ(であるべき)」という前提に立つから、違う意見の相手が許せない。「違って当然」と思えば、他者に対してすこし寛容になれるのではと思います。

下記の記事(「ちがう意見=敵」と思ってしまう日本人・・・」)は 、クロスメディアコミュニケーション代表取締役の雨宮和弘さん クロスメディアコミュニケーション がシェアされていたののシェアです。雨宮さんの投稿より引用(雨宮さんありがとうございます)→『昔私がいた組織は「建設的対立」といって同じ目標達成する仲間だからこそ違う意見をぶつけて検証し合うという文化がありました。それは社長や役員に対しても同様です。却ってお互いに信頼感が醸成され、とても気持ちよくプロジェクトを行うことができました。役割と人格は違うのです。』

「ちがう意見=敵」と思ってしまう日本人には、議論をする技術が必要だ。