前例無しと闘い、道なき道を切り開いてきた、尊敬すべき高校時代の同級生

尊敬している高校時代の同級生と、卒業以来の再会を果たしました。

彼は、ろうあ者として初めて、東大に現役合格を果たしました。

その後、生まれつきのろうあ者として初めて、司法試験の合格を果たしました。

大学合格のときも、1995年の司法試験合格のときも、全国紙に掲載されました。

当時、私の母は、「田門くんが新聞に載ったよ!」と言って、新聞を切り抜いて送ってくれました。

私は、福岡県久留米市での高校受験が終わり、高校入学を果たした翌月、父の転勤が決まり、結局、高校受験を2回繰り返すことになりました。

高校時代は、やけのやんぱち状態でした。

(高校受験を2回やって喜ぶ人はいないのでは・・)

それまでも、北海道、東京の府中、世田谷、埼玉の浦和、愛知県津島市、福岡県久留米市・・と転勤、転校ばかり。

親の都合で振り回されるという被害者意識を持っていました。

この上、高校受験まで、またかよ!

という気持ち。

福岡県久留米市は、亡父のふるさとでもあり、自分にとっても中学1年から住んでいて、なじんでいる土地でした。

結局、福岡県立明善高校から、千葉県立薬園台高等学校へと編入しました。

当時は、千葉の高校なんてぜんぜん知らないし、福岡とは雰囲気もまったく違うし、ほんと転校なんてもうまっぴら!と思っていました。

そんな高校3年のとき、同じクラスになったのが、彼でした。

田門浩さん_薬園台高等学校

聞こえない、話せない、という状況の中、彼は、いつもニコニコして、とても明るかった。

模試で、志望校D判定(ABCDEのうち、D)が出ても、同級生にそれを見せて笑っていました。

なにより、楽しんで学んでいる姿勢、生きる姿勢が素晴らしい。

そう思いました。

自分にはとても真似できない。

今回、手話通訳者の方を通して、たくさんお話することができました。

高校時代のこと、大学時代のこと、卒業してから司法試験に8回チャレンジしたこと、弁護士事務所に就職するのも40回以上断られてようやく就職できたこと、などなど・・・

またお会いするのを楽しみにしています。

ありがとうございました!!

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